「短篇の傑作といえば?」でオススメされたのが、岡本かの子の「鮨」。そうかぁ…と読み直したら、わたし自身について発見を得た。嬉しいやら哀しいやら。 テクストは変わらない。だから、わたしの変化が三角測量のように見える。わたしという読み手は、自ずと「わたし」にひきつけて読む。「わたし」と同姓の、同年代のキャラクターや、発言や考えに似たものを探しながら読む。結果、「鮨」なら潔癖症の少年、「老妓抄」だと老妓に飼われる男の視線に沿う読みだった。それはそれで旨い短篇を楽しめた。舞台やキャラや語りは、さらりと読めてきちんと残る名描写だから。 でも違ってた、やっと分かった、ある感情が隠されているのだ。それは、ファナティック。叫びだす熱狂ではない。かつてマニアックだったもののベントに失敗して、溜まった余圧に動かされている残りの人生の話なんだ。だからおかしいほどに"こだわる"。老妓が余芸にあれほどまで熱を込める
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