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jkondoに関するkataringのブックマーク (15)

  • vol.7 近藤 淳也(株式会社はてな 代表取締役社長) |「みんなの仕事場」ロングインタビュー 経営者のオフィス戦略 - みんなの仕事場

    vol.7 2009年8月28日 1975年、愛知県に生まれ三重県にて育つ。2001年に令子夫人と有限会社はてなを設立。学生時代にレース活動、アメリカ横断旅行を行うなど自転車愛好者としても知られ、ツール・ド・信州主宰者でもある。株式会社はてな代表取締役社長。 「インターネットで人々の生活を豊かに楽しくしたい」 2001年の創業以来、Q&Aサービス「人力検索はてな」をはじめ更新チェックサービス「はてなアンテナ」、ブログサービス「はてなダイアリー」、ソーシャルブックマークサービス「はてなブックマーク」など、それまでにないユニークなサービスを世に送り出してきた株式会社はてな。2008年4月に開発拠点を創業の地である京都に集約させ、世界に通用するネットサービスのあらたな発信の場としました。2009年5月には各サービスにおける総ユーザー数が100万人を突破しさらなる発展を遂げるはてな京都

  • ジュンク堂へ行く - jkondoの日記

    月に1回くらいジュンク堂に行って、をどっさり仕入れてくるのが最近習慣になりつつあります。電車通勤などをしていると、会社帰りにちょっと屋に寄って、ということも可能になりますが、なにせ普段は自転車で8分くらいで会社に着いてしまうような通勤をしているのと、時間的にもあまり余裕がないために平日に屋に行く時間はありません。そこで週末に効率的にを買おう、となるのですが、最近ようやくうまい方法が見つかって定着してきました。 今年の3月にはてなではジュンク堂さんと連携してはてなブックマークの注目の書籍棚を作って頂いています(お知らせ : 京都新聞)ので、その時の話題にちょっと乗り遅れてしまった感はありますが、まあそれはともかくジュンク堂の魅力はとにかくが多いことと座って読めるところです。 自分のの買い方は、入口に置いてあるカゴを手に取って、まずはタイトルや前書きを読んで興味を持ったを20冊か

    ジュンク堂へ行く - jkondoの日記
  • ボトムアップ&トップダウン - jkondoの日記

    半年に1回の人事評価面談が終了しました。これまではだいたい1週間で面談が終了していましたが、社員の増加でついに今回は2週間まるまるかかってしまいました。具体的な仕事の内容についての面談などはどんどん各チームの責任者にお願いをしていると言っても、やはり直接話をすると「ああ、そういうことを思っているのか」という気付きも多く、自分の関わっている範囲の人には評価内容を直接手渡して、なるべく話をするようにしています。 面談と合わせて、各チームの目標や個人の目標の達成度を振り返り、次期の目標を決めていくのですが、そんな一連のプロセスを経ながら、はてなには「ボトムアップ&トップダウン」プロセスが合っている、と感じ始めています。 これまでは、「個人の目標を決めるにはまずチームの目標が必要で、チームの目標を決めるにはまず会社全体の目標が必要だ」と考え、これを実現するためにまず役員会を開いて全社目標を考え、そ

    ボトムアップ&トップダウン - jkondoの日記
  • 受験と私:第7回 「勉強は図書館が閉まるまで。睡眠は8時間」 近藤淳也さん(はてな社長) - 毎日jp(毎日新聞)

    高3の時は毎朝5時に起きて、1~2時間勉強してから登校していました。学校では始業前と、授業が終わって学校が閉まるまで図書室で勉強して、帰宅後は一切しない。睡眠は絶対に8時間は確保していたので、夜は9時に寝ました。休日も朝9時から夕方5時まで図書館で勉強。図書館の雰囲気が好きなんです。周りの人ががんばっているのを見て、僕もがんばるぞと。 夏休みは、名古屋の祖母の家で勉強合宿をしました。40日間泊り込んで、愛知県立図書館に毎日通いました。どうかなるんじゃないかと思うほど勉強した。友達とは会わないし、おもしろいこともないので、結構しんどかったけど、休みが終わったら一気に点数が上がって、学年で450人中150番くらいだったのが、ほとんどの科目で1番くらいになったんです。 塾も予備校も行きませんでしたが、高校の教科書に書いてないことが試験に出ることはないんだから、分かるまで授業を聞こうと思っていまし

  • 秋合宿を行いました - jkondoの日記

    先週の土日にはてなの秋合宿を行いました。半年に一度行っているイベントで、京都、東京の社員・アルバイトが集まってサービスアイデアの発表会をやったり、お互いの仕事についてディスカッションするイベントです。 今回の参加者は約50人と過去最大。この半年で人数が大きく増えたために、これまでに見たことのないような大所帯となりました。京都・東京オフィスの両方のメンバーが一か所に集まる機会は合宿しかなく、毎朝テレビ会議で全社の朝会をやってはいるものの、実際にこれだけの人数が集まると壮観でした。 初日のサービスアイデア発表会は、毎回のことながらなかなかレベルの高い発表が相次ぎ楽しめました。はてなの発表会の特徴は、とにかく「動くもの」が多いこと。ちょっとしたアイデアを発表するだけではなく、実際にプログラムを書いて、デザインをし、みんなの前で実際に動くものとして発表する人がほとんどです。それから今回印象に残った

    秋合宿を行いました - jkondoの日記
  • 10年前のjkondoの日記が熱い

    http://www.google.com/search2001/search これいいよね。 Webarchiveと組み合わせると、あの頃のあんなこと、こんなことが今になって蘇る。 自分が当時作ってたサイトなんかはもう全然直視できなくてさ(笑)。恥ずかしすぎて。今と文体全然違うし。 それで、我らがjkondoでぐぐったらさ、当時の日記みたいなのが出てくるんだよね。 http://web.archive.org/web/19991012003603/www-geod.kugi.kyoto-u.ac.jp/~jkondo/nakaragi/nakaragi.htm 読めるのは多分これだけなんだけど、すごく熱いよね。すごい物を成し遂げる人ってのはさ、やっぱ昔から視点が違うんだよね。出てくる「岡崎」というのは後の夫人かな?しなもん(当時2歳)も出てくる。 別のページにはこんな詩がある。 >街が夜

    10年前のjkondoの日記が熱い
  • はてな流の「モノ作り」とは? 近藤社長語る

    「国内で1000万人のユーザーが使ってくれるサービスを京都から発信したい」 Hatena.inc設立のために渡米していた(株)はてな社長、近藤淳也氏が帰国してから即、着手したのは、はてな社を東京から京都に移転する大胆な計画だった。 東京には営業、インフラ、サポート、事務部門のスタッフ約10名を残し、サービスの要となる開発陣はすべて京都へ配置。京都への移転は、これまで以上にユーザーの生活にそったサービスを提供する決意を固めた意味合いが大きい。 「1000万人規模のサービス提供」へ、格始動 2006年8月、近藤淳也氏はHatena.inc設立のために渡米した。現地のエンジニアを雇ってウェブサービスを開発し、米国市場にはてなのサービスを普及させるためだ。 米国での活動により、各方面の人脈を着々と築いてきた。例えば2007年3月には、グーグルのシニアビジネスプロダクトマネージャーで、日法人の

    はてな流の「モノ作り」とは? 近藤社長語る
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ネイルで使う材料で、DIY時の木割れやネジ跡を派手にしたらかわいい OSB合板でちょっとしたボックスをつくりました。 ビス止め下手すぎて木を割ったり穴あけすぎたりした場所に、好きな派手色の樹脂を詰めてパテ代わりにしてみました。 ちょっと某HAYっぽみ出て可愛かったので、自分用にメモです。 手順 塗装 派手色グミジェルで失敗部分…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
    kataring
    kataring 2008/04/29
    ネットで何か影響を与える為に必要な事、感性ってなんだろうか
  • 1000万ユーザー規模のサービスを京都から--はてな近藤氏が目指すもの:インタビュー - CNET Japan

    2008年4月、はてな社を京都に移転した。インターネットサービス開発のための人員を結集し、京都社をものづくりの拠点とする計画だ。これまでHatena Inc.立ち上げのために米国で活動してきた代表取締役の近藤淳也氏も活動拠点を京都に移し、サービス開発に集中している。 今回の移転の背景には、海外で事業を立ち上げること、海をまたいだ複数拠点で会社組織を動かすことの難しさがあったというが、近藤氏は前向きだ。もともと10年ほど住んでいたという京都は、「新しいというよりも懐かしいという感じで、環境的にはやっぱり良い」と語る。 新生はてなは今後、京都からどのような価値を生み出していくのだろうか。近藤氏に聞いた。 新しい仕組みは、おかしなことを考え続けないと出てこない --京都という環境は、開発にいい影響を与えていますか。 うん。影響していますよ。集中できるという意味ではすごいできますし、こうして

    1000万ユーザー規模のサービスを京都から--はてな近藤氏が目指すもの:インタビュー - CNET Japan
  • 京大 - jkondoの日記

    京都大学の情報学科の「情報と職業」という授業で講演を行った。昼からの2コマを僕とid:stanakaで分担して1コマずつ話す構成で、僕の方はネットベンチャーのこれまでと現在をざっとまとめた上で、日米のベンチャー環境を比較しつつ、今後の展望を考える、というような話をした。教室は学生で埋まっていて後ろで立つ人もいる状態だった。NHKさんにもその様子を取材して頂いた。学生の方々にどういう風に内容が届いたのか、また感想を頂くのを楽しみにしたい。 今の京大で、情報学科に入って将来何をするか、というのはなかなか不透明な状況があるように思う。大手SIerさんに就職して、大規模なシステムの設計や開発の管理をやるのか、企業の情報システムを担当するような職に就くのか、いつつぶれるかも分からないようなネット企業などのベンチャーに入るのか、あるいは起業か・・・。 大きな会社ではエンジニアとしてのしっかりしたキャリ

    京大 - jkondoの日記
  • 株式会社はてな 代表取締役 近藤淳也 — 独立・起業なら ドリームゲート

    株式会社はてな 代表取締役 近藤淳也氏のビジネスからプライベートに至るまでのインタビューです。起業したい方、経営者には必見です。 1975年、愛知県生まれ。4歳で、三重県へ移転する。小学校時代から、自転車の魅力にはまる。いつか、ツール・ド・フランスに出場するような自転車レーサーになりたいと思っていた。三重県立四日市南高校卒業後、京都大学理学部に入学。大学ではサイクリング部に所属し、20歳の時、ひとり自転車アメリカ大陸を横断している。大学卒業後は、同大学大学院理学研究科へ。1年間と決めて自転車レース活動に専念。その後、2年次に大学院を自主退学し、プロカメラマンとしての活動を始める。その頃、父がインターネットの検索で苦労している姿を見て、人力検索サイトの着想を得る。2001年7月15日、「人力検索サイトはてな」を公開し、有限会社はてなを設立。その後も、数々の苦労を乗り越えながら、はてなは次々

  • 米国から京都へ はてな近藤社長の真意は (1/2) - ITmedia News

    「最低2~3年はいる」。そう言って日を出、米国シリコンバレーに飛び込んだはてなの近藤淳也社長が、1年半で日に帰ってきた。この4月、はてな社を東京から、創業の地・京都に移す。 米国でやり残したことは、たくさんある。それでも日に戻ると決めた。日の京都から、世界に通用するネットサービスを作りたい。任天堂が京都から世界に、「Wii」を送り出したように。 米国では「これから」だったが…… 2006年7月、米国シリコンバレーに設立した子会社Hatena.Inc。オフィスを構え、近藤社長はの令子さん、開発スタッフと3人で、現地に移り住んだ。 第一線のWebエンジニアが賞賛しあい高めあう、シリコンバレーが好きだった。渡米した直後に参加した、Webアプリのイベント「Future of Web Application」。「digg」や「WordPress」開発者がヒーロー扱いされるのを目の当たり

    米国から京都へ はてな近藤社長の真意は (1/2) - ITmedia News
  • Friendly Shower - jkondoの日記

    に帰ってきた。しなもんも無事に元気で移動できた。昨晩ははてなワールドオフ会があるというので新宿の会場に少し顔を出したりして、早速日生活が始まっている。日の生活が格化する前に、もう一度だけシリコンバレーについて書いておきたい。 一つ目は梅田さんとのこと。梅田さんとはアメリカに居る間、当にたくさんお話をさせて頂いた。お互い早起きで、朝パソコンに向かっている時に「今日会おうか?(会いませんか?)」というIMを交わして、近くのカフェに行って1,2時間話す、ということを何度も何度もさせて頂いた。1年半の間に4,50回はカフェミーティングをやったんじゃないかと思う。カフェは最初El Camino RealとSan Antonioの交差点のPeet's Coffeeが多くて、Castro通りの南にPeet'sができてからは専らそこに行くようになった。二人とも大体カプチーノを頼んで、なるべく窓

    Friendly Shower - jkondoの日記
  • 速くて落ちないサービスを提供する - jkondoの日記

    外からはなかなか評価されない仕事としてもう一つ大きいのがサーバーの仕事です。はてなのように、1ヶ月のUU(ユニークユーザー)数900万人、月間のPV(ページビュー)が10億PVを超えるサイトを運営するには、当たり前ですが相当なサーバーやネットワークが必要となります。 これまでこのサーバーやネットワークについては、「なるべく安く」ということを目標に構築してきました。売り上げが安定的ではないため、業績が悪化した際にリスクとなる固定費をなるべく減らしたかったからです。(ちなみにはてなは外部からこれまで資を入れておらず、全て自分たちの事業で生み出した利益を元に設備投資を行ってきています。苦労して生み出した利益を使ってサーバーを買うわけですから、そのコストについて厳しくなるのは当然ですし、そのおかげでネットベンチャーには珍しく、完全自己資でここまで会社を成長させることができました。ただ、自己資

    速くて落ちないサービスを提供する - jkondoの日記
  • はてなに入った技術者の皆さんへ (jkondoの日記より)

    最近はてなの社内では新しい技術を勉強したり、フレームワークや言語を移し変えようかという話も出ていたりして活気が出てきています。技術者も10人を超えて、色々な考え方をする人同士が刺激を与え合いながら切磋琢磨していて素晴らしいなあと思います。そういう中で、僕が技術について思う事を少しまとめてみました。 アウトプットを出す 新しい技術を習得したり、時間を掛けて作り上げた結果は、何かのアウトプットとして出さなければほとんど意味がありません。知識や結果を自分の中に残すだけで終わるのは、それを活かしてサービスを作りたくさんの人が使えるようにする事に比べると驚くほどちっぽけな仕事です。 また、3日間で作り上げた素晴らしい仕組みをそのまま1週間寝かせてしまうのは、4日目に他の人が使えるようにしてから1週間を過ごすことに比べると随分見劣りしてしまいます。 当たり前ですが、どれだけ素晴らしい仕組みを作っても、

    はてなに入った技術者の皆さんへ (jkondoの日記より)
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