少し前のことになるが、全日本女子バレー・リオデジャネイロ五輪最終予選で、対戦相手のタイの監督が審判からの警告を不服とし、敗戦後の記者会見で、「これはスポーツではない。日本のショーだ」と痛烈に批判した。 確かに、バレーボールは一流のショーとなった。アイドルタレントがコートサイドを飾り、見た目を意識した選手たちを愛称で呼んだり、ファンによって盛り上げられたニッポンびいきの応援ムードで、テレビ放映の高視聴率を稼ぎだす。だが、それは元を正せば、日本バレーボール界の神、松平康隆の「偉業」なのである。 1972年、ミュンヘン五輪で、日本男子バレーボールチームは、金メダルを獲得した。監督を務めた松平は、体格的に劣る日本選手たちを率い、いままでどの国もやっていなかった「クイック攻撃」や「時間差攻撃」などを駆使し、世界を「日本バレーのペース」に持ち込んだ。松平はその「熟成」の過程を積極的に見せた。「金メダル
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