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富野とアニメに関するkazumoriのブックマーク (4)

  • 山本裕介に聞いた 『機動戦士Vガンダム』30年目の真実④ | Febri

    『機動戦士Vガンダム(以下、Vガンダム)』で初めて演出を手がけた第28話に続いて、第34話では絵コンテも担当することになった山裕介。しかし、ここで初めて富野由悠季監督からカミナリを落とされることになる。その修正指示などから、富野監督がひとつひとつのシーンに込めた意図を読み解いていく。 ――富野監督の事務所での打ち合わせで、具体的な映像のスタイルについての話はあったのでしょうか? 山 絵コンテ打ちでメカや舞台設定のイメージを伝えられることはあっても、演出的にこうしろ、ああしろという具体的な見せ方の指示はほとんどなかったです。「質問があれば聞くよ」といったざっくりしたもので、あとは主に世間話でしたね(笑)。むしろコンテが上がってチェックが終わったあとのほうが印象に残っています。 ――そこから何が始まるのでしょう? 山 絵コンテを提出して数日後に「明日の昼に富野監督が決定稿を出してくれるそ

    山本裕介に聞いた 『機動戦士Vガンダム』30年目の真実④ | Febri
  • 「アムロ・レイの演じかた~古谷徹の演技・人物論~」第10回(後編) | Febri

    第10回 富野由悠季とアムロ・レイ 富野由悠季監督へのインタビュー3回目は、アムロ・レイを継承するとはどういうことかを聞いた。アムロを継承するということは、つまり古谷徹から声優が交代した場合、それまでの演技を古典として模倣すべきか、あるいは独自の演技論を取り入れるべきかという意味である。古谷徹以外のアムロは新しい芝居となるのか、あるいはフェイクとなるのか。 ――アムロやシャアの声が交代したとき、それはフェイクになってしまうのでしょうか? 富野 そういう考え方もあるでしょうけれども、受け手側の一般大衆というのはそれほどバカではないんですよ。もし、古谷徹や池田秀一という人が亡くなってしまったあとで、他の人がその役を演じた瞬間、アムロやシャアの人気というものは消えます。 受け手というのはある意味でとても冷たいんです。それは自分の問題ではないから「アムロじゃないじゃん。シャアじゃないよ、こんなの」

    「アムロ・レイの演じかた~古谷徹の演技・人物論~」第10回(後編) | Febri
  • 1988年『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』編

    「人類を粛正してやる」という富野さんの音 今夏出版予定の書籍『押井守の映画50年50』から、1988年の1をピックアップ。押井監督が選んだ作品は、なんと、富野由悠季監督の劇場アニメ『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』!! 「ガンダムファンじゃない人もぜひ見てほしい」と語る押井監督の"トミノ愛"が炸裂します。意外な裏話も満載です。 ──そもそも押井監督は『ガンダム』が好きなのですか? 押井 最初の『機動戦士ガンダム』(79-80)と『機動戦士Zガンダム』(85-86)、『機動戦士ガンダムZZ』(86-87)までは見ていた。そのあとの作品はたまに拾い見する程度で、あんまり興味がない。天下一武道会のガンダム(『機動武闘伝Gガンダム』(94-95))とか、宝塚ガンダム(『新機動戦記ガンダムW』(95-96))とかいろいろあるけどさ。ガンダムというロボット自体にはまったく興味がない。それでも『

    1988年『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』編
  • 富野ガンダム以外のガンダム作品に黒人ヒロインがいないのは何故?

    御代の趣味と言ってしまえばそれまでだけど、 確かに富野以外で黒人系ヒロインを見たことが無い。 物凄い選民思想というか人種差別的なイメージがある。 特にガンダムSEED以降は民族紛争なんかをメインにしてるのに ガンダムヒロインに黒人女性がいない(あるいは少ない)のは普通に 酷い事なんではないかと思えてきた。 人種差別イクナイ!!

    富野ガンダム以外のガンダム作品に黒人ヒロインがいないのは何故?
    kazumori
    kazumori 2015/10/06
    富野監督が好きな女性のタイプがエキゾチックな褐色の美女と気の強い年上の金髪お姫様、という印象
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