mindとhistoryに関するkbeeeのブックマーク (3)

  • 追記)ユロックの母さんの記事が面白かったので続きを書いた。 https://anond.ha..

    追記)ユロックの母さんの記事が面白かったので続きを書いた。 https://anond.hatelabo.jp/20240619014605 文) キャンセルカルチャーの問題点は、「悪い・正しくない」と思う倫理が内発的なものではないことなんだろう。 どこかで知った聞きかじりの「教養」に発するものだから、キャンセルすることでなんとなく自分が「正しい側」にいることに内心満足してしまう。「正しい側」にいるというのは安全地帯なので、いくらでも無知な人を罵倒し、笑い飛ばせる。その教養は実際のところ、★のたくさんついたブコメかもしれない、その程度に知った教養でも安全地帯に入った感覚を得られる。 つまり、「いーけないんだいけないんだー、センセにいってやろ」のアレと大差ない。 その程度の教養と正義感で、MVを取り下げ、ミュージシャンを謝罪に追い込む社会なわけだね。 かつて、なだいなだが、ケシカラニズムと

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  • 「妻なき人の妻となり…」237年前の土石流、生き延びた村人の決断

    土石流から逃れようとした住民の運命を分けた石段(左)と、1979年に発掘された石段と遺体の様子 出典: 朝日新聞 運命を分けた「50段」 戒名に残る「水」「流」 2016年の「恩返し」 群馬県嬬恋村鎌原(かんばら)地区、どこにでもありそうな小さな観音堂に、地域内外の人たちが次々とお参りにやってくる。観音堂へは小さな赤い橋を渡り、15段の石段を上る。ただ、橋の下を見ると、石段は掘り起こされた地下にも続いている。477人が亡くなり、助かったのは石段を上り切った93人だけ。〈なき人のとなり〉〈主なき人の主となり〉。237年前に火山の噴火による壮絶な経験を現代に伝える「日のポンペイ」を訪ねた。(朝日新聞編集委員・東野真和) 運命を分けた「50段」 観音堂へは小さな赤い橋を渡り、15段の石段を上る。実はこの石段は50段あった。江戸中期の天明3年(1783年)、12キロ先に火口がある浅間山の噴火

    「妻なき人の妻となり…」237年前の土石流、生き延びた村人の決断
  • 特攻隊員の自爆機が敵に突っ込んでいく時、なぜ基地の無線で「最後の瞬間」を聞いていたのか | 文春オンライン

    パイロットが搭乗したまま航空機を敵艦に突っ込ませる特攻隊の「体当たり作戦」は、「私には、100パーセント死ぬ命令をだすことはできない」と語った海軍航空部隊の隊長がいたというほど、生還の望みをもてないものだった。 作家・保阪正康さんの著書『昭和史七つの謎と七大事件 戦争、軍隊、官僚、そして日人』(角川新書)より、特攻の始まり、そして特攻隊員たちの知られざる音について一部を抜粋する。 ◆ ◆ ◆ 特攻の始まり 初めて戦術としての組織的な特攻隊の出撃は、昭和19年10月25日。海軍の神風特攻隊である。 この年、各地の守備隊が次々玉砕するなど、戦況は著しく日に不利となった。軍事指導者たちの無能ぶりからなんら打開策が見いだせないまま、戦争はズルズルと泥沼に陥り、犠牲者をいたずらに増やしていた。その中から出てきたのが「体当たり攻撃」作戦だった。 まず海軍が、人間魚雷「回天」を開発した。もっとも初

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