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読み物とゲイに関するkeiheadのブックマーク (2)

  • ジャックの談話室

    『新潮45』の休刊というショックなニュースが飛び込んできました。 たかがあの程度の文章を「差別」に認定するのはいくらなんでもやり過ぎだし、簡単に休刊を決めてしまった新潮側の態度にも疑問を感じますが、 私自身、以前「週刊新潮」にLGBT批判の記事を書かせてもらったこともあって、気持ちは複雑です。 さて前回の記事の続きですが、『新潮45』10月号では、8月号の杉田水脈議員の記事の批判にたいする反論特集、「そんなにおかしいのか杉田水脈論文」が組まれました。 7人の執筆者の二人が当事者で、そのうちの一人であるかずとさんの寄稿文『騒動の日付け役「尾辻かな子」の欺瞞」が、一番、面白くて、前回の記事で紹介したのですが、 もう一人の当事者の執筆者である松浦大吾氏の寄稿文『特権ではなく「フェアな社会」を求む』は、逆にLGBTナントカを自称する人間によくある支離滅裂で意味不明の最悪の駄文でした。 この松浦大吾

  • 日本男色小史

    の男色といえば、寺院の稚児か、武士の衆道かを思い浮かべるのが普通ではないでしょうか。 かつては、「日の男色は女色を禁じた仏教寺院にはじまる」などということがいわれておりまして、男色は女色の代替え品的存在とされていましたが、それは、西洋的な価値観からの評価にすぎません。 キリスト教圏における男色というのは、過去において、あきらかに悪であり罪であり、近代にいたっても、変態性欲、つまり病気だと評価されていました。 だからこそ、西洋文明圏では、公然と、深刻に、「同性愛差別をなくせ」などという運動が、繰り広げられることとなりました。 現代に生きる私たち日人も、この西洋的な価値観を受け入れていますので、ほんの百年数十年前までの日では、男色はけっして日陰の存在ではなく、きっちり、社会制度に組み込まれた行為だったと聞きますと、信じられない思いがいたしますし、想像もつかない異世界のようです。 しか

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