宗教と一括りにして何をイメージするかは人によって異なると思いますが、そこに右派とかいう言葉(尺度)をつけても何か宗教的に新しいことが語られているわけではありません。このReligious Rightという言葉は「政治的」に使われる言葉であり「アメリカ」の政治状況という文脈がなければほとんど意味をなさないものです。ですから、seijotcp@成城トランスカレッジ氏が「日本にも宗教右派があるって、どれくらい知られてる?」と書かれたようなものは、はっきりおかしいと考えています。 わりに最近聞くようになったこの宗教右派(Religious Right)という言葉は、明確な定義があまり語られることがありません。そしてその用例のほとんどが「反ブッシュ」といった文脈を離れるものではなく、いわゆるアメリカのリベラル層がブッシュ支持者のある部分(の傾向)に対しラベリングしている言葉以上のものではないと私には
『頭を冷やすための靖国論』を紹介したら、三土修平先生からありがたいコメントをいただきました。 お礼といってはなんですか、今日は『頭を冷やすための靖国論』を再読しました。やはり、かなり刺激的で面白い。 靖国問題に関しては日本人は、どんな意見を持つにしろ、まずは自分がどういう立場にたって、何を論拠にどういう発言をしているのか、まずは自覚してみる必要性があるように思う。 自分の意見に対する客観性がないというか、日本人は公私のけじめをつけるのが下手なので、まずは議論より、自覚することを先にしないと、議論が捻れたまま、どんどんあらぬ方向に向かっていくことになる。 そんなことを考えていたので、かって書いた政教分離に関する、自分自身の書き込みを整理してみた。 政教分離の目的 1.国民、個々の信教の自由を守ること、 2.国政に、宗教上の争いを持ちこまないこと 3.国政に、「聖なる目的」(超自然的な判断に基
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