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言葉に関するkeya1984のブックマーク (13)

  • うぃーちきまーちき - 「価値観を押し付けるな」という主張

    私が不思議でならないのは「価値観を押し付けられてしまう」と感じる人が多数いることである。 これは「間接的な人殺し」という話のときに何度か目にした意見であり、近い発言をしたかな、という方はどなたでも反論していただいていいのですが、私は不思議なのです。 というのも、そういう人は「よほど自分の意見に自信がないのかな?」と思わざるを得ないわけです。 そもそも、意見の主張や議論などは、もちろん単なる発言であっても、自分の価値観を相手に押し付けるものです。 意識していなくても、相手に好意的であれ敵対的であれ、同調してもらいたいがために、コミュニケーションをとるものです。 もちろんそれは相互的であるわけですが、相手が相手の価値観から全く動かしたくないのであれば、そもそもコミュニケーションをとる必要がありません。 意思疎通の相互確認も厳密に言えば、同調のための行為です。コミュニケーションと言うのは、ほとん

    うぃーちきまーちき - 「価値観を押し付けるな」という主張
    keya1984
    keya1984 2007/04/21
    主張という文脈で。「押し付けるのは良くない!」ってのが押し付けがましいからでしょう。しばしば「押し付けてはいませんよ」が嫌味ったらしいように。
  • 理由を考えさせてしまうからこじれる - novtan別館

    「事実を認識しろ!」の「しろ」は命令であり、断定でもある。その「事実」を今まで認識していなかった人はなぜ「しろ」と言われるのか理由を考えることだろう。これは、客観的な事実を単に客観的な事実として受け入れる思考に慣れた人から見ると奇妙なことに思えるかも知れないけれど。 で、真っ先に思いつく理由が「責任を感じなければならないから」となるような事実であれば、この言葉は「つまり、責任を取れ」という暗黙の言葉が続いていると認識されてもおかしくない。そんなことを言われたと感じたら、反発する人がいるのは自然なことだ。だから、「少なからずそういう側面もあるよね」的な話は客観的な事実をどう認定すべきかだけではなく、自分はそれに対するべき態度をどう考えているか、というようなことまで表明しなければならない。いや、それは面倒だね。もし、その議論が非常に限定的な、議論の大前提を理解した人のみの集まりであれば別にそん

    理由を考えさせてしまうからこじれる - novtan別館
  • 2007-04-10

    無用の日。 最近いわゆるリベラル系のblogをあちこち読むようになってます。なんかいわゆる保守系とか右翼系よりしっくりくるので、やっぱ自分は根がリベラルだなと思う次第。しかしまあ、左右掲げている旗を問わず、セクショナリズムへの抵抗や対象への誠実さを維持していかねばならぬと思うのですが、まあ実際はそんなにうまくいかないだろうなあ、とか。なぜうまくいかないかというと、人間は自由かつ対等な間主体的コミュニケーションが困難な生物だし、複雑化した社会構造もまたそれを疎外しているということです。あー後者は疎外論っぽくていまどき古いですかそうですか。 ところで、ぼくの周りには右っぽい人も左っぽいひとも保守政党のれっきとした党員もパルタイの人もいるんだけど、不毛ないがみ合いをして党派主義に凝り固まる人はいない。きちんと話を聞いてくれるし議論になる。恵まれた環境だと思います。してみると党派主義の根源はやっぱ

    2007-04-10
    keya1984
    keya1984 2007/04/18
    「人殺し」という言葉の持つ概念について
  • uumin3の日記 - 議論のあり方(「もの言うこと」の続き)

    今日の4時過ぎ、ラジオをつけるとすぐNHK第一で『ごはんができたよ』が流れてきました。でも瞬間、ボーカルの声が違い、誰が歌ってるんだろうと気になりました。矢野顕子よりも若い女声です。歌い方を矢野顕子にひどく似せた感じで。アレンジが変えられていましたから、この歌もカバーされるだけの年月が経ったんだとそう思いました。 カバー曲ならもっと自分の歌い方をすればいいのに、声帯模写じゃあるまいしとも思っていたら、「♪楽しかったんだ今日も。嬉しかったんだ今日も…」のあたりだったと思いますが、急にその声帯模写が入神の出来になって、アレンジが同じだったら矢野顕子と違いがわからないと思える声に。 物真似でもこれは凄いなと聞いていると、どうも女声が二人。一人で二人分の音をとって合わせているというよりは、別の声が二人いるようでしたので、最初に歌った女の子よりももっとよく似せた子がいて、二人でカバーしているのかな…

    uumin3の日記 - 議論のあり方(「もの言うこと」の続き)
    keya1984
    keya1984 2007/03/28
    「どうして他者を安易に自分の中で再構成してしまうことができるでしょう。それは他者の理解ではなく、他者の卑小化による所有です。」
  • 許せないブロガーと、怒れないブロガー。: 不倒城

    あんまポジティブな話じゃないが。 随分昔、「書く」ことでっていければいいなーと思ったことが、そういえばあった。一時期それに近いバイトもしていたんだが、結局諦めた。諦めて正解だったと今では思っている。 何故かというに、多分私には「許せんと思う能力」が決定的に欠けている。 文章を書くという行為は二段階に分かれる。「発想」と「表現」である。書いて面白いことを思いつくかどうかが「発想」のパートであり、それを上手く文章に書けるかどうかが「表現」のパートである。 「表現」は、その種類こそ数限りなく存在するが、要するに技術だ。技術は練習によって磨かれる。 を一度も読んでいない人でも、努力次第で売り物になる文章力を手に入れることは可能だ。志賀直哉や三島由紀夫の語り口を身につけることだって、それ相応の時間をかければ出来るだろう。 一方の「発想」は、努力次第で引き出しを多くすることは当然可能だが、最終的に

    keya1984
    keya1984 2007/03/27
    政治ネタだと、政敵への侮蔑や憎悪を巧みな文章で書いてるエントリが人気なのに対して、淡々とすごくいい意見を書いてる人のエントリが何故か人気薄なのは、そういう理由もあるかなぁ。
  • k2lowさんへのお返事と、統治行為の中立性について - The best is yet to be.

    遅くなりましたが、当方のエントリにk2lowさんからトラックバック頂いているので、少しばかり書いてみます。 柳沢大臣の「健全」発言について - The best is yet to be.(当方) 「『お前は健全でない』と言われた」と思った人の思考の流れの続き。 - Let’s make tomorrow a better day.(k2lowさん) 「政治家は鳥瞰的に思考する生き物」と僕は思っているので、「○○という健全な状況」という言葉を聴いても、「ああ、状況について評価しているのだな」としか思いません。ですから、僕には子供はいないし、僕の両親も子供は僕だけですけれども、それらの家庭が不健全なものと評されたかのように感じもしませんでした。「健全」という言葉は誤解を生む可能性がある言葉という意見は首肯できますが、だからといって「クリリンのことかーッ!!」とばかりにこぞってキレている様子は

    k2lowさんへのお返事と、統治行為の中立性について - The best is yet to be.
  • 酒の上のあやまち - The best is yet to be.

    判決の趣旨は、「管理職の地位にあった原告が、職場の費用で設けられた酒席で、上司に対して暴言。それを理由に降格処分とされたことは適法」というもの。1月19日に札幌高裁(末永進裁判長)で出された。 判決文などによると“荒れた”宴会が開かれたのは、2004年7月と8月。 当時、職場の総務部長だった原告は、7月の酒席の2次会で酒の勢いもあって、仕事に対して自分とは異なる意見を持っていた上司に対して暴言。 「今までのような発言をしていたら、後ろから石をぶつけられるぞ。お前の後継者の立場や家族の将来もないようにするぞ。死んでも葬式に出る職員は一人もいないぞ」と発言した。 翌月の酒席では、別の上司にも「お前は辞めろ」などと発言し、十数分間にわたって激しい口論となった。 そのため、12月に出された人事で、「管理職としてふさわしくない」と、4階級の降格処分となり「総務部長」から「係長」になった。 http:

    酒の上のあやまち - The best is yet to be.
    keya1984
    keya1984 2007/03/17
    典型的な「酒のせいにする酔い方」。
  • 認知の歪み - kmizusawaの日記

    メモなるほど。参考になる。てか2番目の文までに関してはその通り(自分に関しては。気をつけるべき項目だ…と思いつつよく忘れている)。3番目はよくわからん…あ、もしかしたら、これって「傷つきやすいこと」の理由であって1番目の文につながってるのか。だったらわかる。ただちょっと思ったのは、この種の「自分の気持ちにしか関心がない」とか「他人はその他大勢」とかって意識自体はそんな珍しいものじゃない。自分は物心ついたころからそんなものの捉えかたとは無縁だったと言い張る人がもしいたら、その人は幼い頃のことをよく覚えていないんだろうと思うし、「××歳を過ぎてからそんなことは一切考えなくなった」みたいな話もほんまかいなと思う。ただこういったある種の歪みのようなものを適宜気づいて(時には無意識のうちに)修正していける人とそれができない人がいるってこと。それも平均的な年齢相応に出来る人と出来ない人とか。この違いは

    keya1984
    keya1984 2007/03/17
    『金閣寺』みたい・・・
  • まずごめんなさいって、それからだよ - リツエアクベバ

    書いて置けよ、わかるように/北沢かえるの働けば自由になる日記 とある公園へ遠征して、遊具で遊んでいた3歳の娘を、10歳ぐらいの子がキックして泣かせた。 知らん振りしているんで、「コラァ、なにするんじゃい」と追いかけていって、怒ったら、障害者なんです。わからないんです。怒らないでください」と女の人が割って入ってきた。 「わからないからって……蹴られて、娘は泣いているんだよ」 「障害者なんですよ、わからないんですよ。障害者なんですよ」 …。もう何をかいわんや、というヤツです。3歳の女の子を10歳くらいの子がキックって、誰だって怒ります。とっつかまえて怒ります。それはまったくもってとう〜〜〜〜〜〜〜ぜんのことです。怒られるようなことをすれば怒られるのはまったくもって当たり前のことなわけです。 そこで「ごめんなさい、すみません」等の謝罪の言葉があるのは当然のことです。障害ってことを言いたいなら、そ

    まずごめんなさいって、それからだよ - リツエアクベバ
    keya1984
    keya1984 2007/03/17
    二次論争発端の記事より。
  • 福祉と負担 - リツエアクベバ

    以前、福祉をお勉強している学生さんの教室で、ちょこっと話してくれって言われたときに話したこと。 福祉って、なんかすごくいいことって感じがするんですよね。選挙のときの公約ってヤツに福祉がどうのって出てくると、いい人みたいな感じがする。福祉を学ぼうとする人も多いんだと思う。 でも。じゃあ、隣にいる人の福祉のために、みんなちょこっと我慢してくれませんか?ってことになると、途端に福祉だ、わー、みたいな勢いがしゅんしゅんしゅんって小さくなるとこってあるなあと思うんですよね。 自分は我慢したくないの、でも福祉は大事なの、ってことなんだけど、でも実は福祉ってそういうとこ目の前の問題としてあるようにも思うんですよね。たとえばテレビで障害者施設の建設や運営の困難さなんて出てくると、そりゃ福祉だ、わー、みたいなムードがあるんだけれど。でも、ではあなたのおうちの隣にその施設建ててもいいですか、ってことになると、

    福祉と負担 - リツエアクベバ
    keya1984
    keya1984 2007/03/17
    『ヒーヒーの余裕の無さのとばっちりで、キーって怒られちゃう』ダメなものはやっぱりダメだと言わなくちゃいけないことと、それを大目に見てもらえた場合のありがたさと。
  • マンパワーの発掘 - リツエアクベバ

    id:kmizusawaさんの行動ってヤツに、ちょっとつきあっちゃおうって、まあそんな軽い動機で入れたエントリ「福祉と負担」ってヤツがぼこぼこアクセス呼んできたなあ、と。そしてトラックバックもぽんと受信。 福祉の民営化/fujixeの日記 さてここで、逆に「福祉に使われる税金は納めなくて結構です。その代わりあなたが寄付したい施設や団体に、寄付したいだけしてください」となったらどうだろう。果たしてうまくいくだろうか。 いや、すみません、わたしはうまくいかないと思います。選挙の公約ってとこで福祉ってのが出てくると、「自分が安心できる制度」ということに人は頭がいくんではないかと思うんですよね。自分が何かあったとき、自分が年老いたときの安心。そういう感覚ってので、福祉だ、わー、みたいなものもあるんじゃないかと思うんですよね。今、どこぞの誰かに、って要素はそんなにも高くはないと思う。 ちょっと前の、

    マンパワーの発掘 - リツエアクベバ
    keya1984
    keya1984 2007/03/17
    根ざす土地に顔と名を知らしめること。逆に見知らぬ人に話を絶ってしまうこと。その先に。
  • 理不尽な責任ではない責任 - リツエアクベバ

    ずっと、どうしよっかな〜と思っていたこのトラックバックに関しての反応というもの。 やっぱりリアクションをしておこうかな、と思って試みる。 基的には同意です。「知的障害児の他傷行動は、管理者責任です」というのは全くその通りだと思います。ただし、現行制度上ではという条件付きで。 もし、自分が子供を持ってその子供が障害児だったらと考えると、理不尽さを感じずにはいられないでしょう。管理責任を放棄したくなります。こどもが障害を持って生まれたのは、必ずしも親の責任ではないでしょうから。子供の状態によっては、もうギリギリのところまで追い詰められるってこともあるんだろうなぁと思います 理不尽な責任/Kazu'Sの戯言Blog(新館) この「現行制度上では」ということが、正直よくわからなかったです。 うちの娘は障害児の教育現場というところで、以前短期間に数回、相手の突発的な行動により頭を打つという経験をし

    理不尽な責任ではない責任 - リツエアクベバ
    keya1984
    keya1984 2007/03/17
    『障害という言葉が相手の口をふさぐ道具ではなく、理解できる理由になる方法を身につけていくことも必要』→相手を沈黙させるのではなく相手が理解する糸口にするためにこそ。障碍に限らず。
  • 赤の女王とお茶を:コミュニケーション力とは本来、プレゼンテーション力と被プレゼンテーション力からなる

    Dependence of neurotrophic factor activation of Trk tyrosine kinase receptors on cellular sialidase. まあ実際にどうなのかは分かりませんが、こんな効果もあるということで。 細胞レベルの実験では、NGFやBDGFによる神経突起延長を阻害するらしいです。どうもTrkAまたはTrkBといったレセプターの機能を阻害するということなんですが、まだまだハッキリしたことは分からない模様。TrkAは無痛症、TrkBはうつ病に関係が深いということで、やや意味ありげ。 インフルエンザウイルスの増殖抑制作用はもちろんはっきりしていますが、やはり何かしら神経作用もありそうなのできちんと研究して欲しいところですね。 コレを読んで。 コミュニケーションというのは双方向性のものなんだから、「内向的で不器用」な人間を理解で

    赤の女王とお茶を:コミュニケーション力とは本来、プレゼンテーション力と被プレゼンテーション力からなる
    keya1984
    keya1984 2007/03/17
    対話能力とは相互作用なり、ということ。
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