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finalventに関するkiikのブックマーク (23)

  • ギョベクリ・テぺ(Göbekli Tepe)遺跡のこと: 極東ブログ

    ネットで有名な文科系の知識リソースの一つに「世界史講義録」(参照)があり、はてなブックマークでは5000近いブックマークがされている。高校の先生が講義ノートをまとめたものらしい。久しぶりに訪問してみると、宗教史に関連する一部は「ものがたり宗教史 (ちくまプリマー新書:浅野典夫」(参照)となっているようだ。ちくま新書なのは、「[書評]中学生からの哲学「超」入門 ― 自分の意志を持つということ(竹田青嗣): 極東ブログ」(参照)で触れた同書の推薦があったからではないだろうか。 さて、私はといえば、このサイトの冒頭の話をざっと読んだとき、高校生の授業としては妥当な内容ではないかなと思ったが、率直にいうと、私が高校生のころの学校の世界史とあまり変わってなくて(ちなみに私は高校生のころトインビーも読んでいた)、自分では興味がもてないでいた。私が現在の高校生にこの分野ので勧めるとしたら、「世界史の誕

  • [書評]ぼくは日本兵だった(J・B・ハリス): 極東ブログ

    先日トゥイッターで、蛍雪時代、ラ講、百万人の英語といった話を少しして、「そういえば、J・B・ハリス先生は日人」という話を投げたら、驚かれた人がいた。2004年にお亡くなりなったJ・B・ハリス先生の国籍は日。戸籍名は平柳秀夫である。しかし、ハリス先生は産まれたときの英国籍の名前、James Bernard Harrisを自身のアイデンティティーとされていた。 英国人を父、日人を母として1916(大正5)年9月4日、神戸に生まれ、ほどなく横浜に転居しそこで育った。震災後は米国に移り暮らし、12歳で日に戻った。ジャーナリストであった父、Arthur Montague Harrisは、1933年、肺炎がもとで死去した。46歳だった。ハリス先生は当時16歳。残された母子は日国籍を選び、このとき「平柳秀夫」となった。日語は話せるものの漢字などは十分に読めず、軍人訓などを暗唱させられる兵役で

  • [書評]中学生からの哲学「超」入門 ― 自分の意志を持つということ(竹田青嗣): 極東ブログ

    私は竹田青嗣氏の著作はデビュー作からほぼ網羅的に読んでいるので、初期の欲望論、そしてその基礎方法論としての一連のフッサール・現象学解説著作から、近年の「人間的自由の条件 ― ヘーゲルとポストモダン思想」(参照)による、フッサールからヘーゲルに至る社会思想への深化・変遷のあたりで、竹田氏は一つの頂点を迎えたのか、あるいは学生や実際上のお弟子さんたちの教育に忙しくなったか、しばらく思想的な展開は見られないものだろうと思っていた。 そうした流れで、書「中学生からの哲学「超」入門 ― 自分の意志を持つということ」(参照)も見ていたので、書店で見かけたときは、またこれも初期の副産物的な作品かと思っていた。実際、書はかつての類書「「自分」を生きるための思想入門」(参照)とよく似ている。なお、同書については「極東ブログ: 社会システムとルール社会を越えていくもの」(参照)で触れたことがある。また竹田

  • うーむ、「道義的義務」というのは修辞であって、法的な規制であるべき「義務」ということを無意味化しているのではないかな - finalventの日記

    ⇒移植を待つ親は、子が脳死になったら臓器を出すか? - 感じない男ブログ 別の言い方をすると。 問われているのは、社会の制度(法制度)で、あって、その制度推進には参政する個人の道徳的感性はあるかもしれないけど。 市民の行動は、社会的には法によって規制され、個々人においてはその個人の行動がその道義によることを妨げてはいけない、ということではないかな。 別の言い方すると。 「道義的義務」は個人には問われるけど、社会的には問われる問題ではないので(「道徳的義務」はそこでは修辞)、法的な議論とは分離されるものではないかな。 で。 「道義的義務」を自分がまっとうできないがゆえに、ある法制度の成立に反対するというのは、一つの政治運動というか宗教・倫理的な行動としてはありうるけど。けど、公的にそのことが問われたとき、答えるかどうかは自由の問題だろうと思う。 ナッジ的に考えると……まあ、考えることはできる

    うーむ、「道義的義務」というのは修辞であって、法的な規制であるべき「義務」ということを無意味化しているのではないかな - finalventの日記
  • 公文書館なくして民主主義なし: 極東ブログ

    公文書制度の動向がピンと来ない。現状、細田博之官房長官の私的懇談会「公文書等の適切な管理、保存および利用に関する懇談会」(座長、高山正也慶大教授)が進行しており、先月28日、各省庁が保存する文書の国立公文書館への移管基準の明確化などを求める報告書が細田長官に提出された。 懇談会の詳細については、内閣府ホームページ(参照)のかたすみの「その他の施策」にこっそりとリンクがある。リンクであることがわかりづらいように下線を消した項目の「公文書館制度」がそれだ。内閣府は公的ホームページの作りかたもわかってないな。とほほ。 この「公文書館制度」(参照)の資料は、面白には面白い。が、専門的な議論が中心になるのはわかるのだが、率直に言うと、「わかってんのかこの人たち」という印象がある。 同じ印象は昨日の読売新聞社説「公文書保存 政府が直接やるべき事業だ」からも受けた。内容はよく書けてはいるのだが、ジャーナ

  • [書評]シリコンバレーから将棋を観る - 羽生善治と現代(梅田望夫): 極東ブログ

    書標題「シリコンバレーから将棋を観る - 羽生善治と現代(梅田望夫)」(参照)に含まれる「シリコンバレー」は、米国の情報技術先端地域であり、著者梅田望夫が10年以上も情報産業コンサルタントをしている土地でもある(参照)。標題が意味しているのは、最先端の情報技術の視点から、日の伝統な将棋の世界で得られる最先端技術への啓発である。 将棋を単に優れた伝統だからとして見直すのではない。すでに現代将棋の渦中にあり、伝統を踏まえつつそれを乗り越えようとする若き天才棋士羽生善治の現在の姿のなかに、情報産業の未来のありかたをとらえようとしている点が書の特徴だ。なぜ現代将棋に情報産業の未来を見ることが可能なのだろうか。そこには羽生に始まる現代将棋の天才たちの達成があるからだ。 梅田が羽生に注目したのは、ちょうど梅田が起業した時期にも重なる時期に、将棋専門誌「将棋世界」に連載された羽生による「変わりゆく

  • [書評]アンティキテラ 古代ギリシアのコンピュータ(ジョー・マーチャント): 極東ブログ

    文明というもの、それに内包される科学知識や技術というものは、徐々にそして段階的に進展していくと通常考えられている。だから古代は、現代よりも科学技術にはおいて劣っていたとみなされて当然だが、古代が我々に直接伝える遺物には、科学技術進展の原則を疑わせる物がまれに存在する。とりわけ人の驚きを誘うのがオーパーツ(OOPARTS:Out Of Place Artifacts)だ。ギリシア人の感嘆の声、オーパ!をもじったものだろうか。「アンティキテラ島の機械」と呼ばれる、小さな古代の遺物を知った現代人は、間違いなく感嘆の声を上げるに違いない。 書、「アンティキテラ 古代ギリシアのコンピュータ(ジョー・マーチャント)」(参照)は、現代の人間がいまだに知りえない、古代ギリシアの科学技術を探求する過程を描いた作品で、その過程もまた驚嘆を誘う。SF作家アーサー・C・クラークがこの機械を知ったとき、「この知識

  • ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番: 極東ブログ

    30代の終わりだったか40代に入ったころだったか、なぜか毎日、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番とピアノ協奏曲第3番を聞かずにはいられない日々があった。脳がそれを欲しているという奇妙な状態だった。だったのかもしれない。あるいは、激だったのかもしれない。そういう精神状態に陥っているときは自分でもよくわからない。不思議な日々だった。 なぜラフマニノフのピアノ協奏曲だったのだろうか。なぜ脳がそれを欲していたのだろうか。神経内のある種のシナプスたちがピアノの離散的な音に反応するみたいだったが、ピアノの演奏ならなんでもよいわけではなかった。複雑な演奏でないといけなかった。 昔からそういう傾向はあった。離散的な音を聞いていると脳がデバッグされるような感じがした。ピアノ曲が好きだったのは、そういう脳の性向の結果に過ぎなかったのかもしれないが、30代まではメロディアスで情感的な曲は好きではなかった。ショ

  • NHK 来への提言 日本文学研究者 ドナルド・キーン 〜もう一つの母国 日本へのメッセージ〜 、見たよ - finalventの日記

    ⇒未来への提言  日文学研究者 ドナルド・キーン  〜もう一つの母国 日へのメッセージ〜   : BSオンライン 世界のキーパーソンに徹底インタビューする「未来への提言」。今回は、日文学研究の第一人者で、長年、日文化海外に紹介してきたコロンビア大学名誉教授ドナルド・キーンさん(86)。ニューヨーク生まれのキーンさんと日との出会いは、1940年、18歳のときに、たまたま手にした『源氏物語』の英訳だった。千年も前に書かれた『美しい』作品に魅了されたキーンさんは、日文学研究の道を志す。太平洋戦争では堪能な日語力で海軍の情報将校を務め、終戦後の1953年、京都大学大学院に留学。万葉集や源氏物語などの古典文学から、夏目漱石、三島由紀夫などの近現代文学まで、幅広く日文学の研究を続けてきた。同時に、当時はほとんど海外に知られていなかった日文学の翻訳に努め、コロンビア大学に「ドナルド

    NHK 来への提言 日本文学研究者 ドナルド・キーン 〜もう一つの母国 日本へのメッセージ〜 、見たよ - finalventの日記
  • [書評]「ニッポン社会」入門 英国人記者の抱腹レポート(コリン・ジョイス): 極東ブログ

    昨年末に出たNHK新書の『「ニッポン社会」入門 英国人記者の抱腹レポート(コリン・ジョイス)』(参照)をふと思い出して読み返した。面白い。なんど読んでも面白い。簡単にも読めるけど、深く読める部分も多い。ニューズウィークのコラムと重なるネタも多いけど、このでまとめて読むとけっこうも味わいが深い。個人的にはなんとなくロバート・リンドの随想も思い出した。 コリン・ジョイスは、略歴を見ると、1970年ロンドン東部のロムフォード生まれ。オックスフォード大学で古代史と近代史を専攻とある。若いなと思うしエリートだなと思う。来日したのは92年とのこと。この間、太ったという話も最近ニューズウィークのコラムで読んだ。なんとなく日生活でのプライバシーのある側面が気になるが、まあ気にしない振りしておこう。 書はいろいろと興味深いエピソードが多い。若い英国人は現代の日をこう見るのかという示唆は当然として、意

  • 自殺する前に読みたい本10冊 - finalventの日記

    inspired by ⇒たけくまメモ : そろそろここもリニューアルを 「自殺する前に読みたい10冊」とか、そんな感じで紹介していきたいなーと思ってます。 思いつくまま。 「 飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ―若き医師が死の直前まで綴った愛の手記: 井村 和清」 「 なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記: H.S.クシュナー,斎藤 武」 「 失敗の中にノウハウあり―金儲けの神様が儲けそこなった話: 邱 永漢」 「 芸者―苦闘の半生涯: 増田 小夜」 「 がんから始まる: 岸 葉子」 「 人生を“半分”降りる―哲学的生き方のすすめ: 中島 義道」 「 尻啖え孫市: 司馬 遼太郎」 「 死ぬことと見つけたり〈上〉: 隆 慶一郎」 と 「 死ぬことと見つけたり〈下〉: 隆 慶一郎」 「 孫子: 海音寺 潮五郎」 「 虚空遍歴 (上巻): 山 周五郎」と「 虚空遍歴 (下巻): 山 周五郎」

    自殺する前に読みたい本10冊 - finalventの日記
  • [書評]サーノ博士のヒーリング・バックペイン(ジョン・サーノ): 極東ブログ

    現在発売中のTarzanが腰痛・肩こりを特集していた。へー、Tarzanがこの特集ですかと冷やかしに立ち読みでぱらっとめくりつつ、微笑みながら、あれ、PNFが載ってらとちょっと驚いたので買うことにした。とはいえ、PNFやその関連についてはこのエントリでは触れない。でもそういえば、と、標題ののことを思い出した。ネタにしようとして、していなかった。 このは、日版の副題に「腰痛・肩こりの原因と治療」とあるように、とりあえず腰痛について書かれただと言っていい。米国では"Healing Back Pain(腰痛治療)"として1991年に出版され、話題となった。というのもこれを読んだだけで腰痛が完治したという人が多数出現したからである。ちょっと宗教みたいな状況だった。 と、書きながら、少しためらうのは、そう書くことでいかがわしいであるかのような印象を与えるのではないかということだ。実は、この

  • [書評]私は誰になっていくの?―アルツハイマー病者からみた世界(クリスティーン ボーデン): 極東ブログ

    「私は誰になっていくの?―アルツハイマー病者からみた世界」というについては、これまでなんどかここで書評を書こうかと思って、そのたびごとに読み返し、ためらい、そして断念した。書きたいことはあるがなにも書けない気がした。が、少し書いてみよう。このは、とりあえずは、標題のように、アルツハイマー病患者の内面を描いた手記と理解していい。 書いてみようかと思ったのは、今朝の朝日新聞社説「痴呆症――患者の思いにふれたい」を読んでいて、ちょっと嫌な感じがしたからだ。単純に非難をしたいわけではない。社説の執筆者がこの問題を理解していないのにきれい事を書いているなという印象を持ったくらいのことだ。嫌な感じを受けるのは私だけかもしれない。この部分だ。 昨秋、市民グループの招きで来日したオーストラリアの女性、クリスティーン・ブライデンさんも参加する。アルツハイマーを発病する前は政府の高官だった。病名がわかった

  • ちょっと違うと思う - finalventの日記

    ⇒わたしが知らないスゴは、きっとあなたが読んでいる: 正しい死に方「死ぬことと見つけたり」 この、私も実は私の愛読書⇒極東ブログ なので、ちょっと異論を言いたい気があって、ちょっとだけ。 この質は、生きることとか武士道とかいうことじゃなくて、人間が闊達に生きている様の面白さ・豪快さにあると思うのですよ。 「葉隠」というのは武士道の思想のように読まれてきたし、そう読んでもいいのだけど、隆慶一郎がこので表現したのは、むちゃくちゃに自由に生きる人間の姿。 いかに生きるか、というより、なんで、こんなに自由な人間というのは面白いんだという感触。 それとなんどか読むとわかるけど、女へのある優しいとでもいうべきか奇妙な感触がある。ここは中年になるとじんとわかるよ。あと、斉藤杢之助の娘が面白い。 このは読まなきゃ損みたいなだし、以前これにも入れといた。 ⇒自殺する前に読みたい10冊 -

  • 極東ブログ: [書評]アリはなぜ、ちゃんと働くのか(デボラ・ゴードン)

    先日twitterで蟻についての話題があって、そういえばと思って、「アリはなぜ、ちゃんと働くのか 管理者なき行動パタンの不思議に迫る(デボラ・ゴードン、訳:池田清彦、池田 正子)」(参照)を書庫から取り出して読み直した。 たしかこのは新潮OH!文庫として初めて出版されたもので単行からの文庫化ではなかったと思う。アマゾンを見たらそれどころか新潮OH!文庫自体がなくなっているようだ。そういえば見かけない。どうなっているのだろう。なにより、書はすでに絶版らしく、古書でプレミアがついていた。当時600円だったのに、古書では1140円から2500円まで。残念な気がする。このは高校生でも読めて、科学というものについて強いインパクトを受けるに違いないのに。普通の読書人の大人にとっては、蟻の生態といった科学分野に関心のある人ならやはり面白いだろう。そしてある種の創造的なプログラマーにとっても刺激的

  • [書評]ドナルド・キーン著『足利義政』: 極東ブログ

    ニュースネタもないので、書評を一を増やす。新刊ではないが、年頭読み心に深く残った一冊がある。ドナルド・キーン著『足利義政』だ。 足利義政と言われて、センター試験世代はなんて答えるのだろう。改めて訊くだけ嫌みになる。が、Googleをひいて呆れた。暴言を吐く、ネット利用者というのはバカばかりだな。Googleがバカなのかとも思ってリストページを繰るが絶望を深めるばかり。検索の筆頭にはウィキペディア(Wikipedia)の足利義政の項目があるので、もちろん開いてみた。爆笑するしかないだろう、I'm feeling Luckyってことはこういうことか。バカここに極まれりだな、生没年すら記載せずに百科事典かよ、とふと見るとウィキペディアの項目にはEnglishのリンクがあるので、どうせこのバカども英語の説明でも訳したのだろうと思って見ると、そうでもない。英語の説明のほうがもう少しまともだ。なるほ

  • [書評]さまよう魂(ジョナサン・コット): 極東ブログ

    邦訳「さまよう魂 ラフカディオ・ハーンの遍歴」(参照)が出版された1994年にざっと目を通していた記憶があるが、この年沖縄出奔など私事いろいろなことあり、そうした記憶に埋もれてしまっていた。ラフカディオ・ハーンほどではないが、自分もさまよう人生になりそうだなと思っていた。先日「極東ブログ: [書評]転生 古代エジプトから甦った女考古学者(ジョナサン・コット)」(参照)でも触れたが「転生」を読んだ後、こちらのも続けて読んだ。非常に面白かった。 書はラフカディオ・ハーンが日に至るまで、新聞記者として書いたコラムが数多く掲載されている。アンソロジーの趣向もある。前世紀のシンシナティ、ニューオーリンズの情景も米国という国の理解を深める点で興味深い。また、マルティニークの描写にも心惹かれる。 引用というのは長すぎる随所のラフカディオ・ハーンのコラムだが、読み続けていくうちに、コットがラフカディ

  • 「徒然草」を読む: 極東ブログ

    このところ、「徒然草」を読んでいた。学生のころやその後も折に触れて読んでいるのだが、今回は少し違う。現代語訳のない岩波文庫「新訂 徒然草」のを買ってきて、原文のままつらつらと読んでいた。 歳を取るにつれ、不思議と古文がそのまま読めるようになってきて、古文を読むのが楽しい。古文は現代訳を気にせず読むのがいいものだ。と、もちろん、鎌倉時代から南北朝時代の日語なのですべてわかるわけでもないが、文庫の注であらかたわかる。 いろいろ思うことがあった。一つは、兼好法師も日人だなということ。それは、つまり、自分も日人だなということでもある。ものの感受性や批評性というのが、実に、日人という以外ないようなありかたをしている。「家にありたき木は、松・桜。松は五葉もよし。桜は一重なる、よし。」ああ、まったくそのとおりだ。 七百年近くも前の人なのに、日人であるという感性ことはこういうことかなと感慨深い。

  • 自然科学の勉強したいんだが、簡単な本 - finalventの日記

    ⇒【2ch】ニュー速クオリティ:教養として自然科学の勉強したいんだが、簡単な教えろ ⇒はてなブックマーク - 【2ch】ニュー速クオリティ:教養として自然科学の勉強したいんだが、簡単な教えろ 私のお薦めはこれかな。 つかぬことをうかがいますが…―科学者も思わず苦笑した102の質問 (ハヤカワ文庫NF): ニューサイエンティスト編集部, 金子 浩: Amazon.co.jp また、つかぬことをうかがいますが…―科学者も居留守を使う98の質問 (ハヤカワ文庫NF): ニューサイエンティスト編集部, 金子 浩: Amazon.co.jp ポイントは、センス・オブ・ワンダーとユーモア。 そういえば、トビウオの話も載っていましたね。忘れていたというか、それほど留意してなかった。ビジュアルってインパクトが違うなぁ、というあたりは反省。

  • はてなQより どうやって生きて行けばいいかわかりません。 - finalventの日記

    ⇒どうやって生きて行けばいいかわかりません。 人には、「偽善者」「自分を大切にできない人」「エゴが無い」「変にまじめ」「ながされっぱなし」と言われます。職場ではつ.. - 人力検索はてな 私が回答するとすれば。 目をつぶって一歩だけ前に進みなさい。 どうやって生きていけばいいかわからないときは、実は思念や人間関係などで自縄自縛的になっている。もうどうにも動けないものだ。 そんなときは、きゅっと目をつぶって一歩だけ前に進む。 目をつぶらなければ前に進めない。 悩むのを無理でもやめなければ前に進めない。 そして一歩進んだ足に重心を置いて、ちょっと振り返って片目を開ける。 あなたを縛り付けていた愛情や悲しみや人々が、実は、あなたを必要としていないことにふと気がつけば、もう一歩目をつぶって進む。 そして、自分を縛ってきたものから自由になり孤独になり、目をあけて前に進んでいく。 抽象的かな。 いろい

    はてなQより どうやって生きて行けばいいかわかりません。 - finalventの日記