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tsunamiに関するkinaのブックマーク (2)

  • 此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    「此処(ここ)より下に家を建てるな」――。 東日巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。 「高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ)」 州最東端の●ヶ埼(とどがさき)灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。結びで「此処より――」と戒めている。(●は魚へんに毛) 地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになった。 地

  • asahi.com(朝日新聞社):「沖へ」「陸へ」漁師の生死分けた一瞬の判断 大船渡 - 東日本大震災

    「沖へ」「陸へ」漁師の生死分けた一瞬の判断 大船渡2011年3月17日4時19分 印刷 Check 津波で破壊された岩手県大船渡市・吉浜湾の漁港。漁網やブイが散乱していた=15日、遠藤写す 東日大震災の大津波で、アワビやワカメの養殖で知られる岩手県大船渡市北部の漁港も壊滅的な打撃を受けた。約300人が加盟する吉浜漁協も施設のほとんどが破壊された。だが、吉浜湾内で操業中だった漁師の大半は難を逃れた。命を守ったのは、一瞬の判断だった。 11日午後2時46分、ワカメの間引きをしていた漁船約10隻を、地震が襲った。 「いつもの地震と違った」と柏崎寿さん(59)。船底からガタガタと大きな音がした。湾を囲む岬の森から、スギ花粉が山火事の火の粉のように舞い上がるのが見えた。 船上には、の久美さん(54)、次男の紘治さん(26)もいた。柏崎さんは作業を中断し、沖へ急いだ。水深約70メートル地点で停泊。

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