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批評に関するkiringoのブックマーク (10)

  • なぜ少女が湯水のように消費されるのか――男性オタク界隈における少女の消費状況について―― - シ口クマの屑籠(汎適所属)

    今となっては違和感を表明する人もあまりいないが、深夜アニメやライトノベルといった現代のオタク向けコンテンツには、たくさんの少女が登場しては湯水の如く消費されている。『けいおん!』や『魔法少女 まどか☆マギカ』のような、男性が絶無に等しいキャラクター構成が、例外ではなくオーソドックスになったことは、当は驚きに値することではないだろうか。どうして男性オタク界隈でこんな事が起こっているのか?以下に、考えてみようと思う。 1.エロという身も蓋もないニーズ(古典的に消費される少女) アカデミックな議論では無視されがちだが、ベタで重要な要因の一つ。 極めてシンプルに、セクシャルに、「鑑賞対象としてもエロい想像を膨らませる対象としても、少年よりは美少女を見ているほうが気持ちいいから」という身も蓋もない理由。こうした古典的なニーズをよく反映しているのは同人誌の世界である。『けいおん!』のような、エロ消費

    なぜ少女が湯水のように消費されるのか――男性オタク界隈における少女の消費状況について―― - シ口クマの屑籠(汎適所属)
  • 【アニメ】・「魔法少女まどか☆マギカ」 - ふぬけ共和国blog

    amazon] 実は数日前、第1話から深夜までぶっ続けて最終回まで観てしまった。 それまでは1話も、観たことがなかったのだ。 理由はいくつかあるが、このテの既存ジャンル脱構築モノは、日の場合「どれだけイヤなものを見せるか」というショッキング大会になるのではないか、とイヤな予感がしたのが最大の理由だった。 「この物語はけっきょくイヤな面だけを露悪的に見せて、最後は絶望で終わるんじゃないか?」と思って、なんとなく手をつけられずにいた。 しかし、最終回の放送が終わってから、「希望の物語として終わっているのが良かった」という意見がネット上で散見されたので、観たのである。 そして、その作品の迫力と込められた希望と現在リリースされる重要性に、戦慄したのである。 ・その1 「ウォッチメン」[amazon]は、アメリカのスーパーヒーロー、マスクヒーローを脱構築した作品である。 そして、「まどか☆マギカ

    【アニメ】・「魔法少女まどか☆マギカ」 - ふぬけ共和国blog
  • 「父性の超克」や「母性のディストピア」とは異なる“まどかの物話” - シロクマの屑籠

    (この文章は、「魔法少女まどか☆マギカ」のネタバレを含みます) 魔法少女まどか☆マギカ 6 【完全生産限定版】 [Blu-ray] 出版社/メーカー: アニプレックス発売日: 2011/09/21メディア: Blu-ray購入: 47人 クリック: 3,386回この商品を含むブログ (144件) を見る ロールシャッハテストや万華鏡のように、『魔法少女まどか☆マギカ』という作品は、見る者の視点次第でいろいろな視え方に見える。そうやって、一つの作品をさまざまな視点から眺めまわすのはオタ冥利のひとつだと思う。 ここでは、「少年の成長物語の類型から見たまどか☆マギカ」という視点で作をこねくり回してみようと思う*1。 まどかの仕事は「父性の超克」に当てはまるか まどかは適切な奇跡の選択を行い、自らをなげうってまで、キュウべぇを末端とする魔法少女-消費システムを改変した。この結果を狭く捉えるなら、

    「父性の超克」や「母性のディストピア」とは異なる“まどかの物話” - シロクマの屑籠
  • 『魔法少女まどか☆マギカ』において、美樹さやかが担った役割は重い - 蝸牛の翅(つばさ)

    ネタバレ考察です。全編を観終わっていない方は、視聴後に読まれることを強くお勧めします。 以下、数十行開けた後、文です。 何よりも"希望や願いが必然的に破滅に繋がる"構造を許せず、それを許さないためにこそ超越的な概念そのものと化した鹿目まどか。 その神の如き力を得た存在、全てを救えるはずのデウス・エクス・マキナですら 「さやかちゃんを救うには、何もかもなかったことにするしか」 ないという"必然"を語らざるを得なかった意味は大きい。 それは、美樹さやかとその象徴するものに与えられた、逆説的な極めて高い評価であると私は考えます。 この日記は、それだけの評価が美樹さやかに与えられた意味を探る論考です。 鹿目まどかの願いは、キュウべえことインキュベーターの築き上げた”魔法少女〜魔女エネルギー生成システム”の全面破棄でなく、自らが生ける特異点(シンギュラリティ)と化しての、デメリット部分を移行しての

    『魔法少女まどか☆マギカ』において、美樹さやかが担った役割は重い - 蝸牛の翅(つばさ)
  • 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』論考 - 濱野智史の個人ウェブサイト@hatena

    7月頃、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 」に関する原稿を書いたのですが、諸事情につき刊行されない運びとなったとのことなので、せっかくなのでウェブサイト上にアップしたいと思います。約8,000字です。 ■ 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』(以下、『新エヴァ』と略す)の総監督である庵野秀明は、いまから約三年前にあたる二〇〇六年の九月に、同作品を制作するにあたって「我々は再び、何を作ろうとしているのか?」と題された所信表明を公開している(注1)。そこでは次のように書かれていた。なぜいまエヴァの再映画化を手がけるのか。それは「疲弊しつつある日のアニメーションを、未来へとつなげたいという願い。蔓延する閉塞感を打破したいという願い」を実現するためである。もちろん、いまさら十年以上も前の作品を映画化するのか、という思いはある。事実、「エヴァはもう古い、とも感じ」る。しかし、庵野はこうも断言している。「この

    『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』論考 - 濱野智史の個人ウェブサイト@hatena
  • 超映画批評『ミスト』90点(100点満点中)

    『ミスト』90点(100点満点中) THE MIST 2008年5月10日(土)より、有楽町スバル座ほか全国ロードショー 2007年/アメリカ/125分/配給:ブロードメディア・スタジオ スティーブン・キングの原作を変更、凌駕した大傑作 フランク・ダラボン監督とスティーヴン・キング原作のコンビには、「ショーシャンクの空に」「グリーンマイル」という傑作がある。鬼門とさえ言われるほど難しいキング作品の映画化を、ほとんど唯一成功させているのがこの監督なのだ。だから、ファンに人気の中篇『霧』をフランク・ダラボンが手がけたのはある意味必然。そしてその期待に彼は、三たび完璧にこたえた。映画『ミスト』は、必見の衝撃作である。 メイン州の田舎町。荒れ狂った台風が去った翌朝、物資の買出しに地元のスーパーマーケットに集まった住民らを、今度は視界ゼロの霧が襲う。ちょうど買い物に来ていた主人公デヴィッド(トーマス

    kiringo
    kiringo 2008/11/03
    力強くこの映画を誤解しているように思える素敵なレビュー
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  • 2008-04-08 - 「ゼロ年代」のリアリティ? - 【海難記】 Wrecked on the Sea

    賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…

    2008-04-08 - 「ゼロ年代」のリアリティ? - 【海難記】 Wrecked on the Sea
    kiringo
    kiringo 2008/04/09
    ほんとうにそうだと思う。でも、ロスジェネ的には、そんな創造性よりもバブルと寝たかったやつもたくさんいると思う。
  • 「自分探しが止まらない」/速水健朗

    速水健朗新刊(ソフトバンク新書)。おもしろかったです! 前作「タイアップの歌謡史」はやや趣味性のつよい題材でしたが、今回はより一般的、また誰もが興味を示すであろう旬な話題を取り上げ、タイトルや帯の扇情的な雰囲気もやる気じゅうぶん。全体が、売れる感に満ちあふれている。来たな、とおもった。中田英寿の引退メッセージを引用したイントロダクションから、「自分探し」というキーワードが様々に展開していく構成にもぐっときました。 とはいえ、わたしはこのを気軽に読める気がしなかった。「いるよねー、探しちゃってる人」と、のんびり嘲笑できる立場にはないような感じがしたのである。たとえばポジティブ・シンキングについて。速水はポジティブ・シンキングと自己啓発の関係性を指摘しているが、このあたりはちょっとどきっとしました。なぜならわたしは、ふだんから「良いことしか言わない」「ポジティブなこと以外はいっさい口にしな

    kiringo
    kiringo 2008/02/15
    自分探しを客体化(嘲笑)できる人とできない人の潮目はどこにあるんだろう。
  • 『ゼロ年代の想像力』が用意した90年代とゼロ年代の対立軸 - デイジーチェイン・アラウンド・ザ・ワールド

    S-Fマガジン 2007年 10月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2007/08/25メディア: 雑誌 クリック: 7回この商品を含むブログ (15件) を見る相変わらずの周回遅れだが、第4回を読んだので言及しておこう。 『ゼロ年代の想像力』に関しては、第3回までを読んで『自然主義的リアリズムとまんが・アニメ的リアリズム - 宇野常寛の見落としているもの』というエントリで東浩紀、宇野常寛両氏の噛み合っていない部分を指摘した。第4回もあまり進歩的な内容ではなかったので当ブログの基的なスタンスも変わらない。両氏は相変わらず噛み合っているようには見えない。というか、宇野氏は東氏に上手く噛みつけていない。これが今のところの結論だ。 ただ、逆の視線を用意することは意外と簡単にできる。すなわち、どこに軸を置けば彼らの対立構造を素直に読み込むことができるのか、ということだ。今回はそ

    『ゼロ年代の想像力』が用意した90年代とゼロ年代の対立軸 - デイジーチェイン・アラウンド・ザ・ワールド
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