国際に関するkirk111のブックマーク (2)

  • 児玉昌己研究室

    令和6年3月15日金曜日 西南学院大学で九州EU研究会に出てきた。なんと第72回目。 35年以上にわたり春夏の年2回実施されてきた。私も長崎純心大(当時純心短大)に着任してすぐにオックスフォード大から分厚い経済学の書物を出されていた福岡大学のエル・アグラ先生の推薦でメンバーにさせて頂いた。 報告者としても最多の記録を持っている。報告者が見つからないバッファーとなっていたようだ。ここ20年余りは幹事を務めさせていただいている。 今回プログラムは以下。 松下先生は九大の岩田教授のお弟子さん。浪先生は故小室程夫(神戸大教授)のお弟子さんで13年ぶりの報告。古室先生と私はベルギーの欧州大学院大学の片方は、先生として、私は院生として同じ学年で学んでいた。EU法のイロハを教えて頂いたのはこの小室先生であった。フランス語が堪能で、同じ日人として密かな誇りとしていた。岩田先生は日ごろ学会活動で懇意にさ

    児玉昌己研究室
  • 『イランとアメリカ、「世界の中心」と超大国(91)』

    現在、イランとアメリカの関係に関する書籍を準備中です。その草稿をご覧ください。 ---------- 第9章 冷戦の終結とアメリカの中東政策 地殻変動 1987年の安保理決議598号の成立から1988年の停戦の実現までの時期が、ある意味ではその後のペルシア湾岸情勢の行方を決定した。なぜならば、この期間にイラクの軍事力は飛躍的に増大し、逆にイランの軍事力は大幅に低下した。これによってイラクは、イランからの脅威から解放された。イランの軍事力が低下している間は、イラク軍には行動の自由があった。この戦争を通じて、イラク軍は、化学兵器やミサイルで武装した総兵力百万のフランケンシュタインに成長していた。その怪物をつないでいたイランの圧力という鎖が切れたわけだ。こうしてイラン・イラク戦争が終わった時には、フランケンシュタインは歩き出せる状態にあった。 その後の中東の地域情勢の展開に、このフランケンシュタ

    『イランとアメリカ、「世界の中心」と超大国(91)』
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