哲学者のカントは教え子に「美貌の女よりも金持ちで持参金が多い女を妻にするといい」とアドバイスしていたという。しかし、カント自身は生涯独身だった。評論家の長山靖生氏は「カントの規則正しい生活には女性が入り込む余地がなかった。それだけ学問に執着していた」という――。 ※本稿は、長山靖生『独身偉人伝』(新潮新書)の一部を再編集したものです。 独身主義ではなく、生涯独身を貫いた理由 哲学者のイマヌエル・カント(1724~1804)も生涯独身でした。カントは東プロイセンの首都ケーニヒスベルクに、馬具職人家庭の長男として生まれています。こうした身分の者が、哲学という金に結びつかない学問をすることがいかに困難かは、容易に想像できるでしょう。 両親は信心深いルター派敬虔主義者で、カントも同派の学校を経てケーニヒスベルク大学に進み、初めはニュートンやライプニッツの自然学を研究しました。しかし1746年に父が