両者に共通するのは(当時の)キリスト教批判とニヒリズムの克服でしょうね。 キルケゴールはキリスト教の堕落によって到来するニヒリズム、ニーチェは人間の弱さから未だ神の隷属を抜け出ていないところに押し寄せる近代化(ドイツ観念論が唯物論によって侵食される時代、創造論や目的論的な世界観の否定など)にニヒリズムを見ました。 キルケゴールは実存的な判断によって、あるべき信仰の復活(原始キリスト教への回帰)によるニヒリズムの克服を、ニーチェはニヒリズムの徹底(神の死)による無垢なる生への肯定と、受動的ニヒリズムから能動的ニヒリズムへの昇華(自己超克)へと向かいました。 手法こそ全く逆ですが、その二人が実存主義者として評せられる場合には、ともに人間の意志や生に重きを置いているところからだと思います。 ちなみに、ニーチェは1988年2月19日のゲオルグ・ブランデス(デンマークの評論家、文芸史家)宛の手紙で次