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紀元80年、ローマ市内で、ある一つの巨大な建造物が完成目前に迫っていた。 やがてコロッセウムと呼ばれるようになるこの巨大な円形闘技場は、約10年の歳月とローマの建築技術の粋を結集してつくられた建造物で、古代の七不思議にも挙げられている。 完成したコロッセウムは、外壁の高さ52メートル、直径188メートル、短径156メートルほどもある巨大なもので楕円型をしていた。収容出来る人員数は、実に5万人余り、観客席は4層から成り立っており、外壁には80の通用門が設けられていた。 この巨大円形闘技場は、暴君として知られるネロ帝の黄金宮廷内にあった人工の池の底を穿ってつくられていた。工事に際しては、数万立方メートルという大量の土砂が取り除かれ、むき出しになった凝灰岩の岩盤が、この円形闘技場の基礎部分にされたのである。さらに、その基礎部分に石灰岩と大理石を使って外壁からなる4層の客席が組み上げられるようにし
ローマが好んだ競技(見世物ともいえます)剣闘士試合があります。 剣闘士試合の他に野獣狩りや模擬海戦なども行われ市民が熱狂しています。剣闘士試合の開催は選挙の人気取りや為政者が市民への娯楽を提供する目的でかなりの頻度で行われた模様です。(逆に剣闘士試合をほとんど開催しなかった皇帝は善政を行っても市民からは大変な不評を買っています) ここで注意しなければならないのは反乱を起こしたスパルタクスのイメージから剣闘士=奴隷や捕虜と思われがちですが、実際は自由人やローマ市民が職業として戦ったばかりか、果ては元老院の議員や皇帝までもが収入やスリルを求めて剣闘士試合に出場しています。 戦闘は相手が死ぬまで戦うのではなく、決着がついたときに観客が親指を立てて拳を挙げれば処刑係が殺害し、親指を下に下げれば助命されるシステムでした。 よって負けても戦い方がすばらしかったり人気のある剣闘士の場合は再戦の機会が与え
競技場(circoチルコ)は、ベンハーに出てくるような馬車競争のトラックです。たいていU字形になっている。 闘技場は円形で、内部はスリ鉢形になっていて、人と野獣、人と人のコロシアイを見せた。それでコロッセオ・・・は冗談。コッロッセオは固有名詞でローマの大闘技場。あの場所にネロの?巨像(コロッサス)があったのでそう呼ばれるようになった。足がカピトルの博物館にある。 他に劇場があり、 劇場は半円形で片側は舞台になっている。悲喜劇や見せ物を見せた。 上記が原則だが例外も多い。たとえばコロッセオに水をはってガレー舟を浮かべ模擬海戦をやったこともあるらしい。 回答 コロッセオをチルコと言わないのは形も違うし、用途も違うからでしょう。 補足: 「足の像があった」のではなく「巨像の足が残っている」です。 正確にはコロッセオが固有名ですが、闘技場一般なら、アレーナでしょう。イタリア人がコロッセオをアレーナ
基本的には、現在のイベント会場施設と同じです。 様々な事に使用されていましたが、やはり剣闘士試合が多かったらしいです。 剣闘士同士の戦いもあり、さらには剣闘士対猛獣、なんて試合もありました。また、団体戦もあったようです。アリーナに水を満たし、模擬海戦をした、という記録もあります。 剣闘士試合は、命をかけたものですが、敗者が必ず死ぬ、というわけでもありません。勇敢に戦った敗者は、観客の意向で助命される場合もあります。当然、その逆もあり。 剣闘士は奴隷がほとんどですが、自由民が自ら剣闘士を職業とした例も少なくないそうです。死ぬ可能性が高いですが、実力者は栄光を手にします。それが魅力的だったのでしょう。 コロッセオは、皇帝や有力者が市民に娯楽を提供するのと同時に、市民の声を聞く場でもありました。皇帝の入場や演説に対し、拍手喝采があれば支持、ブーイングが起れば不支持、ということです。ローマでは、共
ローマ帝国に売れば、お金になるんだから、子供のライオンとかを生捕って、連れてくるのを商売にしている人たちが、いたはず。 それと、ライオンの生息地は、中世までは、シリア・パレスティナにもたくさん、居たらしいです。土地の乾燥化で、サバンナが後退、砂漠化したことも理由のひとつですが、人間とライオン、どちらも、ひらけた土地に住む、王者同士ですから、人間が、増えたことで、生息地も減ったでしょう。中東のライオンは、狩りを禁止されていた、十字軍のテンプル騎士団が、害獣だからと、ライオンばかりを狩猟しました。 北アフリカには、割と後代まで、ライオンがいました。バーバリ・ライオンと言って、大きな種類だったそうです。 ですから、ローマ時代にたくさん、ライオンを生捕るのも、あながち不思議じゃないでしょう?だいたい、北アフリカのカルタゴには、ゾウ部隊もいたんですから。 さらに、北、トルコ、アナトリア半島にも、旧く
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