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三島由紀夫に関するkobayasiyasumiのブックマーク (3)

  • 三島由紀夫文学紀行 ヴァチカン

    三島由紀夫が最初の海外旅行に出航したのは1952年のクリスマス、横浜港からで,はじめは船でハワイへ行った。三島は例によって細かな旅日記を綴り、その心境を鮮明に書いた。既に文壇の寵児として名声を確立してゆく過程にはあるが、まだこの時点では「仮面の告白」がベストセラーになっていた程度、まして海外では全く無名である。 従って米国についての感傷的な記述もないかわりに占領政策を攻撃する激甚な文章も「私の遍歴時代」と「アポロの杯」には見あたらない。 三島が占領政策に直接的な容喙をするのは昭和40年代であり、昭和20年代の中から寓話的批判を選ぶとすれば「鍵のかかる部屋」が、主権を失っていた時代の日のデカダンスを描いた作品である。その占領政策に抵抗できない日人の精神の退廃をインモラルな役人とセックスに奔放な人と、その子供を通して背徳的な世相を描いている。 ともかく三島は最初の海外雄飛でハワイへ寄港し

  • 死に至る病 と三島由紀夫のことなど - 生まれてから死ぬまでの記録

    キルケゴールの代表著作です。このにある 「死に至る病とは絶望のことである」 という言葉は有名だと思うのですが、ここで言われている死や絶望は 一般的な死や絶望ではありません。 それがこのの要であり、面白いところです。 まず冒頭に福音書のラザロに関するエピソードが語られます。 ラザロが病に倒れたとき、キリストは言います。 「この病は死に至らず」と。 しかし、ラザロは死んで、その知らせがキリストのもとに来たときに、 キリストは「ラザロは眠っているだけだ。ラザロのところに行こう」と言って、 ラザロの墓に行き、「ラザロ、起きなさい」と呼びかけると、ラザロが墓から でてきた、というものです。 キルケゴールがこので語っている死は、キリストが「死に至らず」と言った その「死」です。 そのような死に至るものが、キルケゴールにとっての絶望であり、 キルケゴールに言わせれば、人間の殆どは絶望してるというこ

    死に至る病 と三島由紀夫のことなど - 生まれてから死ぬまでの記録
  • 三島由紀夫の11歳のときの作文凄すぎワロタwwwwwwww : キニ速

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