三島由紀夫が最初の海外旅行に出航したのは1952年のクリスマス、横浜港からで,はじめは船でハワイへ行った。三島は例によって細かな旅日記を綴り、その心境を鮮明に書いた。既に文壇の寵児として名声を確立してゆく過程にはあるが、まだこの時点では「仮面の告白」がベストセラーになっていた程度、まして海外では全く無名である。 従って米国についての感傷的な記述もないかわりに占領政策を攻撃する激甚な文章も「私の遍歴時代」と「アポロの杯」には見あたらない。 三島が占領政策に直接的な容喙をするのは昭和40年代であり、昭和20年代の中から寓話的批判を選ぶとすれば「鍵のかかる部屋」が、主権を失っていた時代の日本のデカダンスを描いた作品である。その占領政策に抵抗できない日本人の精神の退廃をインモラルな役人とセックスに奔放な人妻と、その子供を通して背徳的な世相を描いている。 ともかく三島は最初の海外雄飛でハワイへ寄港し