熱心に共産主義に向う人もいれば、去りゆく時代を惜しむ人もいたが、どちらもそれまでの生活から力ずくで引き離されたことに変わりはなく、かといって新しい生活への移行もすぐには始まらなかった。 1918年2月に創設された労働者・農民赤軍の兵士の外見は、特に多種多様で色彩豊かであった。内戦中に用意できた服を着て、赤旗のもとに集まった。 新しいボリシェヴィキ政権には資金がなく、兵士に普通の制服を与えることもできなかったため、兵士は平服に赤い腕章をつけたり、赤い服を着たりしていた。 1918年2月に創設された労働者・農民赤軍の兵士の外見は、特に多種多様で色彩豊かであった=タス通信撮影 当時を知る人はこう話す。「全身赤装し、白いハイ・ブーツをはいた『赤き騎兵隊』が、街中を進んだ。赤軍兵士というより、新種の”赤色人種”だった」。 誰一人として同じ格好をしている人はおらず、外套、パパーハ(コサック帽)、ガリフ