1896(明治29)年6月15日夜に発生、2万人以上の死者を出した明治三陸地震の津波で、岩手県鍬ケ崎町(現・宮古市鍬ケ崎町)の被災状況を地元写真師が翌朝から撮影したネガ(ガラス乾板)13枚が盛岡地方気象台に残っていたことが28日までに分かった。この時代の災害を記録した写真のネガが見つかるのは非常に珍しく、118年前の生々しい被災状況がネガからの鮮明な写真でよみがえった。 撮影したのは地元写真師「末崎仁平」。写真史に登場しない無名写真師ながら「技量は非常に高い」(古写真収集家の石黒敬章氏)と専門家は指摘、災害史、写真史の両面で貴重な資料だとしている。 末崎についての詳しい資料はないが、岩手日報の前身の地元紙「岩手公報」や東京の「時事新報」に本人が出した当時の写真販売広告によると「鍬ケ崎上町」在住で、写真は「海嘯(津波のこと)翌朝当海岸ノ惨状ヲ撮影シタルモノ」とある。 この津波では、当時