日本最高の中学、高校、大学を卒業し、さらに世界最高の企業の内定を手に入れたといわれる若者。しかし彼はそこで、既存の組織に属することを止め、自分の手で企業を作ることにした。その真意は。 小6で"覚醒" 灘(なだ)中学に行きたいとは、自分から両親に言いました。小学6年生の夏のことです。動機は、テニスであの錦織圭(にしこりけい)クン(現プロテニスプレイヤー)に負けたこと。僕は当時テニスにすべてを賭けていたのですが、小6で臨んだ全国大会で2歳年下の錦織クンに惨敗した。 1年前は彼と対戦して勝ったりしたのですが、その年は1ポイントもとれないくらい、まったく歯が立たなかった。天才ってほんとにいるんだ、と思い知らされました。 それで次は勉強でトップを目指すしかない、と決意したのです。 灘中に合格すると、そのまま灘高、東大法学部と進みました。自分で言うのもなんですが、いうなれば"エリートの保守本流"を進ん
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