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ニートと哲学に関するkozokaeruのブックマーク (1)

  • ひきこもりやニートに必要なのは「精神論」ではなく「身体論」……なのだが - umeten's blog

    まず最初に確認しておかなければならない点は、「精神論」とは往々にして自らがある程度確かな「身体感」を獲得した地点から生まれるものだということだ。 自分が自分の体を確かに司っている、コントロールしているという「実感」がベースとなり、それが無自覚のレベルにまで至ったところで、人間はかくも容易に「言語を絶する境地」に転がり落ちる。 「精神論」とは、ある種の「神秘主義」だともいえる。 来、精神について語る言葉とは、人間の精神の恐るべき複層性また限りない多様性を念頭においた上で、最小公約数的な落とし所を探ろうとするという、常に限界を抱えたものである。 少なくとも、そのような配慮を備えたものでなければならない。 でなければ、またたくまに「単純な敵に対立する単純なわれわれ」という貧弱な存在として、人間を規定しなければならなくなる。 しかし、「精神論」は、その人間の精神をあたかも素数であるかのように扱っ

    ひきこもりやニートに必要なのは「精神論」ではなく「身体論」……なのだが - umeten's blog
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