学生時代からアルバイトで出入りしていた編集プロダクション、スタジオ・ハード(漫研の先輩の高橋信之が創設)でケイブンシャの大百科シリーズ(『怪獣ものしり大百科』)ほか多くのアニメ書籍を執筆。そこで紹介されたJICC出版局(現宝島社)において学生バイト兼編集デスクとして任された別冊宝島「ゴジラ宣言」が早々に増刷、その評価により入社が決定する。 初めて自分で作った本が、双葉社の「ルパン三世」である、19歳の夏の頃であり、この本を作った深夜に偶然「ルパン」の原点といえる中平康の「危いことなら銭になる」をテレビの深夜劇場で鑑賞し、衝撃を受ける。町山いわくアニメ「ルパン(第一作のみ)」も映画好きになるきっかけだという[8]。 学生バイト時代は、SF劇場アニメ『レンズマン』などの科学考証にも参加。また、「このビデオを見ろ!」などのムックも編集している。 1985年、JICC出版局(現宝島社)に入社。当時