「みにくいあひるの子」や「アリとキリギリス」、「ウサギとカメ」などの物語には、動物のキャラクターに対する強烈な偏見があります。今日は、ある物語を信じたいと思う無意識の願望について考えます。 その日、口にするものに不自由しながら、不自由であったからこそアンデルセンは限りなく美しかった。 人魚姫が海の泡と消える悲しさに私は身をよじるほど無念であった。 無念であったから、私は、人魚姫を忘れることが出来なかった。 あるいは、みにくいあひるの子が、美しい白鳥になる結末に私は大変満足し、満足したから忘れることが出来なかった。 私は素直でよいアンデルセンの受け手であったと思う。 私は、息子にみにくいあひるの子を読んでやった。 息子は言った。 「なんで、白鳥があひるよりいいんだよ」 私は考えもしなかったので答えにつまってしまった。 「あひるに悪いじゃんか」息子は言った。 佐野洋子「あひるの子」より なるほ