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歴史とinterviewに関するkukurukakaraのブックマーク (2)

  • 坂口博信 ナーシャ・ジベリの天才的プログラミングを語る

    坂口博信さん、成田賢さんが2024年6月22日放送のJ-WAVE『ゆう坊とマシリトのKosoKoso放送局』の中で初期『ファイナルファンタジー』シリーズなどを手がけた天才プログラマー、ナーシャ・ジベリについて話していました。 (鳥嶋和彦)やっぱり当時は(開発が)早いよね。 (坂口博信)最長で10ヶ月ですね。 (Naz Chris)ドラクエも早かったんですよね。 (堀井雄二)1なんか半年ぐらいで、2もそのぐらい作っていて。すぐ出したからね。で、3」でやっと1年かかったという話なんで。 (Naz Chris)当時のファミコンのゲームって、そんなもんなんですか? 平均的に1年以内で開発できるんですか? (堀井雄二)容量が少ないんでね、分量がなかったんだよね。1で64KBしかないんで。そこに絵を入れて、音楽を入れて、プログラムをしてっていう。 (坂口博信)そうですね。成田が言ったようにナーシャって

    坂口博信 ナーシャ・ジベリの天才的プログラミングを語る
  • 「桜の花びらのような無数の遺体、今も夢に見る」無戸籍で約80年生きた戦争孤児が明かす、壮絶な半生(後編) | 47NEWS

    太平洋戦争で親やきょうだいを失った「戦争孤児」で、戸籍がないまま79年間を生き抜いた人がいるらしい。わずかな情報から、その無戸籍の戦争孤児「Aさん」を探し始めた私は、首都圏のある河川敷で「ダイスケ」と名乗るホームレスの高齢男性に出会った。 ブルーシートや段ボールで作った「家」は橋の下にあり、1945年の東京大空襲で親を失い、4歳で孤児になった。戸籍もないと言う。探し続けたAさんと条件が一致する。 取材は約1年に及んだ。戦後80年をどう生きたのかを知りたくて、口が重い彼を何度も訪ね、対話を重ねた。訥々と語られたその半生は、社会の底辺から見た日の戦後史だった。(共同通信=森清太朗) ※記者が音声でも解説しています。「共同通信Podcast」をお聞きください。 ▽「83歳、家族は空襲で焼け死に、上野で浮浪児になった」 2023年8月初旬、河川敷には強い日差しが照りつけていた。ダイスケさんに名刺

    「桜の花びらのような無数の遺体、今も夢に見る」無戸籍で約80年生きた戦争孤児が明かす、壮絶な半生(後編) | 47NEWS
    kukurukakara
    kukurukakara 2024/05/30
    “太平洋戦争で親やきょうだいを失った「戦争孤児」で、戸籍がないまま79年間を生き抜いた人がいるらしい”
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