奈良に関するkuschanaのブックマーク (5)

  • 【牽牛子塚古墳】「こんな足もとに…」ダメ押し発掘で思わぬ大発見  - MSN産経ニュース

    斉明天皇らの墓と事実上特定された古墳の周辺。隣で新たな古墳や石室が発見された牽牛子塚古墳(1)、高松塚古墳(2)、欽明天皇陵(3)=奈良県明日香村で社ヘリから(沢野貴信撮影) 「飛鳥には何が埋まっているか分からない。『ダメ押し発掘』で石室が見つかるとは」。越塚御門古墳を調査した奈良県明日香村教委、西光慎治技師(40)は驚きを隠さない。 10月中旬、現場の埋め戻し作業が急ピッチで進んでいたころ、西光さんは、牽牛子塚古墳の南東約20メートルにポツンと埋まっていた1メートル大の巨石が気になっていた。人為的に割れた痕跡があったためだ。「ただの石ではなさそうだが…」 発掘現場では、調査終盤に一部を掘り下げて遺構の状況を再確認することがしばしばある。担当者の間では「ダメ押し発掘」と呼ばれ、ごくまれに大発見につながるときもある。 今回がそうだった。巨石の周囲を掘り進むと、約1メートル下でスコップがカチ

  • 縄文時代のクリ林確認 奈良・観音寺本馬遺跡(産経新聞) - Yahoo!ニュース

    観音寺馬遺跡では、縄文時代の土壙墓が人骨が埋葬された状態で見つかっている=2009年7月30日撮影(写真:産経新聞) 奈良県橿原市と御所市にまたがる観音寺馬遺跡で、縄文時代晩期(約2800年前)のクリの木の根株25株がまとまって確認され、橿原市教委が26日発表した。クリ林は狩猟採集で生活していたとされる縄文人が、料確保のために植林していたことを示す重要な発見になるという。 [フォト]観音寺馬遺跡で確認された縄文時代のクリ林 縄文時代の人工林の存在は、三内丸山遺跡(青森県)の花粉のDNA分析などで指摘されているが、実物の根株の分布によって明らかにされるのは極めて異例という。 この遺跡から出土した根株68株を顕微鏡で分析した結果、20種の樹木が確認され、約半数が用可能な種だった。クリは最多の25株を占め、水路に囲まれた80メートル四方のエリアに集中していた。 クリ林は集落の住

    kuschana
    kuschana 2010/02/27
    有用な植物を栽培していた跡?
  • asahi.com(朝日新聞社):国内最多81面の銅鏡の副葬判明 奈良・桜井茶臼山古墳 - 社会

    桜井茶臼山古墳から出土した三角縁神獣鏡の一部=奈良県橿原市の県立橿原考古学研究所、新井義顕撮影桜井茶臼山古墳から出土した三角縁神獣鏡の一部。「是」という字が刻まれている=奈良県橿原市の県立橿原考古学研究所、新井義顕撮影国内最多の銅鏡が副葬されていた桜井茶臼山古墳=奈良県桜井市、朝日新聞社ヘリから、日吉健吾撮影      大和政権初期の大王墓の可能性がある奈良県桜井市の大型前方後円墳、桜井茶臼山古墳(3世紀末〜4世紀初め、国史跡、全長200メートル)で、国内最多の13種、81面の銅鏡が副葬されていたことがわかった。県立橿原考古学研究所(同県橿原市)が7日発表した。副葬時の完形品はなく、出土した約380点の破片から判断した。  これまで最多は、平原(ひらばる)遺跡1号墓(福岡県糸島市)の40面だった。全国に約40基ある全長200メートル以上の前方後円墳は、大半が陵墓(皇族の墓)か陵墓参考地で立

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    kuschana 2010/01/08
    国内最多81面の銅鏡発見
  • 「国内最古」の堂ノ後古墳 掘ってみたら5世紀後半 奈良(産経新聞) - Yahoo!ニュース

    地中レーダー探査によって国内最古の3世紀前半の前方後円墳とされていた奈良県桜井市の堂ノ後(どうのうしろ)古墳について、市教委が実際に発掘したところ、出土土器などから5世紀後半の築造だったことが20日、分かった。同古墳の近くには、卑弥呼の墓との説もある箸墓(はしはか)古墳があり、邪馬台国との関連が注目されていたが、200年以上新しいことが確実となった。ただし、この地域は、大和政権が大阪・河内地域に移った5世紀の実態が不明で、邪馬台国時代以降の空白期を解明する上で貴重な資料になりそうだ。 堂ノ後古墳は、墳丘が田畑などによって大幅に掘削されて築造当初の形をとどめておらず、直径35メートルの円墳と考えられてきた。 地中レーダー探査は平成17年、天理大学の考古学専攻の学生らが実施し、墳丘を取り囲む周濠(しゅうごう)の存在を確認。観測データを詳しく分析したところ、土の質の異なる部分が見つかったこと

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    kuschana 2009/12/21
    「国内最古」古墳実は…
  • 80年前の「タイムトンネル」、大阪で発見(読売新聞) - Yahoo!ニュース

    明治、大正に大阪―奈良間を結んだ大阪鉄道の路線で、1931、32年の大規模な地滑りですべて崩壊したとみられていたトンネル「亀ノ瀬隧道(ずいどう)」(大阪府柏原市)の一部がほぼ原形のまま見つかり、9日、報道各社に公開された。 約80年前、土砂の下に消えた〈幻のトンネル〉に、関係者は「まさか当時のまま残っていたとは」と驚いている。 トンネルは1892年、大和川右岸の生駒山地を貫いて建設された。昭和初期の地滑り後、出入り口が封鎖され、間もなく現場を迂回(うかい)する別の路線(現JR関西線)が建設された。 見つかったアーチ状のトンネル内部はれんがで覆われ、幅3・3メートル、高さ4・6メートル。昨年、国土交通省が排水トンネルの敷設工事で周辺を掘削作業中、全長約500メートルのうち、66メートルが崩壊を免れているのを確認した。同市教委と国交省は、一般公開の方法を検討する。市教委の担当者は「約80

    kuschana
    kuschana 2009/12/11
    幻のトンネル大阪で発見
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