早起きじいさんのひとりごと。柳田国男の話、商品世界論、1970年代論、読み残した本の紹介、気まま旅の記録など。 先進資本主義国だけを見れば、19世紀末は政治的な安定期だった。経済的にも繁栄と拡大が保たれていた。だが、世界全体をみると、このころ、周辺部では革命の嵐が吹き荒れており、その嵐はやがて中央部におよぶことになる。 そんな地域としてあげられるのが、オスマン帝国、ロシア帝国、ハプスブルク帝国、中国、イラン(ペルシャ)、メキシコなどである。ブルジョワの世紀にあって、これらの地域の古風な政治構造はぐらついていた。 清朝は弱体化し、帝国主義勢力の猛攻撃により、その体制は風前の灯となっていた。満州に進出したロシアを撃退した日本は、すでに獲得した台湾に加えて、さらに多くのものを得ようとしていた。イギリスは香港と上海に拠点を置き、チベットを事実上分離した。フランスはインドシナを植民地とし、ポルトガル
早起きじいさんのひとりごと。柳田国男の話、商品世界論、1970年代論、読み残した本の紹介、気まま旅の記録など。 大化の改新(645年)後、中大兄皇子は孝徳大王、斉明女王のもと摂政として権力を握り、かずかずの政治改革を実施していきます。 大王の座に就いたのは、661年に筑紫に出征中の母、斉明女王が病死したあとです。663年には半島に大軍を派遣し、白村江で戦います。しかし、大敗しました。 そのあと敗戦処理に時間をかけたため、天智が近江大津宮で即位するのは、さらに5年後の668年になります。 敗戦後、天智がもっとも留意したのは、「軍国」体制を維持することでした。対馬、壱岐に防人(さきもり)を置き、筑紫から西国にかけて砦を築いています。 664年には「甲子(かっし)の宣」を発し、中央官制の強化と統制をはかっています。その方向性は権力の中央集権化にほかなりませんでした。 大和朝廷はいわば氏族の寄り合
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く