概念世界と一体化する 旅から帰ってきても、行った先で感じていた感覚は残っているものだ。撮った写真を見ると、その感覚が蘇(よみがえ)るし、旅先で食べた品々の匂いを嗅ぐと、その日の行動が次から次へと思い出されてくる。ある土地のことを本や映像で知っても、こうはいかない。実際に行ってみて、その土地に自分を置いてみないと、こんなにくっきりとした感覚は得られない。 数学も旅のようなもの、と著者は書く。ただしそれは手で触れることも、目で見ることもできない抽象的な概念世界への旅だ。「多変数解析関数」の世界と聞いても、さてそれはどんな世界なのだろう。しかし数学者の岡潔にとって、その世界は「峻険(しゅんけん)なる山岳地帯」だったらしい。彼はその山岳地帯を旅し、そこに自らの身を置いたのである。そうすることで、その風景の襞(ひだ)を探査できる数学的乗り物を発明し、ついには連綿と連なる未解決問題の「一群の山系」を発