〝お見合い写真〟としてジョゼフ・デュクルーが描き、フランスに送られたマリー・アントワネットの肖像 なかなかまとまらなかった縁談 女帝マリア・テレジアの末娘、マリア・アントニア(マリー・アントワネット)のフランス王家との縁談は、1766年、彼女がまだ11歳のときには両国の間で始まっていたようです。 女帝の方は、宿敵プロイセンのフリードリヒ大王が、いつまた侵略してこないとも限らないので、大国フランスとの同盟が決定的に強固なものとなるこの縁談を、一刻も早くまとめたかったのですが、フランスのルイ15世は承諾の姿勢は見せるものの、なかなか話を具体化させようとしません。 というのも、花婿候補は王太子ルイ・フェルディナンの嫡子、ルイ・オーギュスト(のちのルイ16世)なのですが、その父と、母マリー=ジョゼフ・ド・サクスがこの結婚に反対でした。 ルイ・フェルディナンは、放蕩者の父王とは正反対の、敬虔で厳格、