言葉に憑かれた人たち ― 人工言語の地平から 3 言語は世界を鏡のように映し出すか ばらばらの世界とばらばらの言語 ポール・オースターの出世作となった、ニューヨーク三部作の第一作目『シティ・オブ・グラス』は、オースターの他の小説と同じように奇妙な味わいの物語だ。推理小説作家の主人公クィンのところに、ある日「ポール・オースターさんですか」というまちがい電話がかかって来るところから物語が始まる。電話の主はピーター・スティルマンといい、なぜかオースター(=クィン)を私立探偵と思いこみ、自分は命をねらわれているので守ってもらいたいと依頼する。自分を殺しに来るのは、まもなく刑務所から出所する実の父だというから、おだやかではない。 電話の主スティルマンは、父によって「幽閉された子供」であった。二歳から十一歳までの九年間、窓を遮蔽した部屋に閉じこめられ、人との接触を断たれていた。その結果
2007年01月25日 「信用と信頼」に関するイメージを文章にしてみる 正式な用途は辞書を引いてもらうとして、個人的には<<信用>>と<<信頼>>の概念には大きな違いがある。 「(主観的判断で)信じる」という意味においては、どちらにも共通点がある。 信用 まず、「信用」という意味を考えてみよう。文字を額面通り受け取ると「信じて用いる」だ。信用する為には 信じる為の(必要だと思われる)幾つかの客観的根拠又は信じるに値する(と判断できる)、対象との直接的経験又は自分自身の経験から自明であると判断できるもの(“常識”や“当たり前”と思っているもの) が必要である。そして、これらの条件をクリアしたモノを信じることを「信用できる」と考える。 しかし、というか、当然のことながらこれらの条件は多分に主観的な推測であるので、信じていたこと(期待していたこと)にそぐわない結果が出ると信用は「失われる」。また
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