終戦(1945年)後、福岡・博多港には、満州(現・中国東北部)や朝鮮半島からの日本人引き揚げ者が数多く降り立った。 女性たちの多くは、目もそむけたくなるほどボロボロの姿をしていた。 引き揚げ者の診療に当たっていた西岡利之氏は『ある戦後史の序章』(西日本図書館コンサルタント協会)の中でこう述べている。 「若い婦人達の多くは断髪し、女性の命ともいうべき顔面などを煤(すす)などで故意に汚し、 胸部は厚く布を巻いて乳房を圧し、ズボン姿の男装がおおく、その脱出の苦労が察せられた」 一体、彼女たちに何があったのだろう。 終戦後2週間もたたないうちに、朝鮮半島38度線以北はソ連軍が制圧し、ソ連兵と朝鮮人保安隊による日本人迫害と虐殺が開始されたのだ。 『ある戦後史の序章』には、避難民救済活動を行っていた石田一郎氏の以下のような手記が掲載されている。 「北朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、