なんだか涼しい。昼間は暑かったのに、やはり秋だ。 今夜ふと思いだした。 バッハのマタイ受難曲の中の「主よ、この涙にかけて我を憐れみたまえ。」という曲を。 この曲がタルコフスキーの映画で流れたことを。 キリテ・カナワの声も良かったけど、映画のシーンとあいまって、 この曲に圧倒された。 人の心は結構深いと思うこともある。 意識していない部分まで含めばさらに深いだろう。 それでも人には、時として抱えきれないものがあるのは何故だろう。 やはり心はそんなに深くも広くもないからなのか。 それとも、自分でその広さや深さを解放しないからなのか。 押さえ込もうとしても、あふれてくるもの。 それなのに、それを分かち合える相手がいないのは苦痛だ。 分かち合える、というのも変かな。 受けとめてくれる、ということかな。 …告解の意味。 そんな時は、神のみが、自分をゆるし、 この苦しみの深さをみつめてくれるだろう、
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