「外は良寛」松岡正剛著より/備忘録3 良寛の詩歌には「つつ」という言葉がたびたび出てきます。 霞立つ長き春日を子供らと 手まりつきつつ今日も暮らしつ 手毬をつきつつ今日も暮らしているというのは、単に手毬をついて今日も暮らしているということとちがいます。 手毬をつくことが「つつ」で強調されている。手毬をついていることが暮らしに大きくかぶさっているわけです。しかもそこにはかなり積極的なずれもある。 ずれて反復するものがある。 紀の国の高ぬのおくの古寺に 杉のしづくを聞きあかしつつ (高ぬは高野山のこと) 山かげの草の庵はいとさむし 柴をたきつつ夜をあかしつ 雪の夜に寝ざめてきけば雁かねも 天つみ空をなづみつつ行く 浮雲のいづくを宿とさだめねば 風のまにまに日を送りつつ 良寛の最期に接した貞心尼の歌にも「つつ」が出ます。 「これぞこのほとけの道にあそびつつ つくや尽きせぬみのりなるらむ」 という