宮城県の村井嘉浩知事が、二七日に「九月の入学、始業がよいのでは」という私案を示し、教育界で少なからず議論が巻き起こっているようです。実は当方、コロナ禍における公教育の在り方について近頃いろいろと思いをめぐらしておりました。で、同知事の私案を目にし、少なからず違和感を抱いたのです。以下、私見を述べようと思います。 コロナ禍の長期化を前提とするならば、「いつになったら以前のように生徒を学校に集められるのか」という問題設定そのものが現実的ではない。当方は、そう考えております。というのは、一か所に生徒を集めることそれ自体が3密を生むからです。そうなると学校が3密の新たな発生源になり、社会的に極めて危険な状況がもたらされることになります。せっかく終息しかかったコロナ禍がふたたび襲来する、というわけです。 そう考えると、学校は、生徒ひとりひとりにタブレットを配って、オンライン授業を徹底するよりほかにす