興味深い記事を読んだ。 12月18日毎日新聞夕刊に東大で行われた学生実態調査の報告についての短信である。 学部学生3534人(回答者は1367人)対象のアンケートで「自分はニートやフリーターになるように思う」と答えた学生が7.4%、「ニートにはならないが、フリーターになるかもしれない」と答えた学生が20.9%。 あわせて28.3%の東大生がいずれニートかフリーターになる可能性を感じている。 この数値の経年変化にも興味があるところだが、記事では触れられていない。 個人的予測を述べさせてもらえれば、数値はこの後も増え続けるだろうと思う。 東大生が就職にきわめて有利なポジションにいることはどなたでもご存じである。 だから、彼らがそれでも「ニートかフリーターになるかもしれない」と思っているのは、「就職できない」からではない。 新卒でちゃんと一流企業や官庁に就職はするのである。 オフィスにばりっとし
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昨年惜しくも亡くなった杉浦日向子氏は、前回紹介したインリン氏、雨宮処凛氏と同様、若いころフリーター生活をしていたことがあるそうだ。もっとも、杉浦氏(1958年生まれ)がフリーターをしていたのは1980年代後半で、インリン氏や雨宮氏がフリーターをしていた時代とはだいぶ違う。それにしても、杉浦氏のフリーター生活についての見方は、後の二人とは対照的である。『一日江戸人』(1998)の冒頭箇所で彼女はこう書いている のっけから私事で恐縮ですが、一九歳の夏から三年余り、私はアルバイターでした。短期のバイトを転々とし、ぶらぶらしていました。二週間働いて三週間ぶらぶらする。あるいは、一か月働いて二か月ぶらぶらする、という具合で、居候でもあり、月四万円もあれば、なんとか生活できたのです。その時、つくづく、多くを望まなけりゃ、けっこう呑気に暮らせるもんだなぁと実感し、べつだん、一生アルバイターでもかまわない
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昨日は関東地方は夕方から夜にかけてすごい雨だった。某大学の授業が終わって、近くのモスバーガーで食べていたら、突然激しい雨が降り始めた。朝出かけるとき雨が降っていなくても、天気予報を聞いて折り畳み傘を準備する、とかそのような計画的な行動は私にはインストールされていないので、当然傘などもってない。私は多少の雨はあまり気にしないのだが、さすがにこの雨ではパンツまでびしょぬれになりそうなので、そのままモスで雨がやむのを待つことにした。しかしかなり長い間粘ったものの、一向にやむ気配がない。仕方なく店を出て、そこから100メートルぐらい先のコンビニまで走り、傘を買うことにした。それだけでもかなりびしょぬれになっただが、とりあえずビニール傘を探し、傘だけというのもなんなので、ちょうど買うつもりだったテレビブロスと一緒にレジに持っていった。すると、びしょぬれの私を前に、大学生風の店員がこう言った。 「すぐ
■[我想故我有] 「すき間」を大切にしない国とは? フリーター・ニートの扶養控除に年齢制限をつけてある年齢以上には課税する。 そんなニュースを今日聴いた。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060522-00000007-kyodo-pol フリーターやニートという言葉は、為政者によって都合よく使われているなぁとつくづく感じる。 「失業者に課税する」という本質を「フリーター」、「ニート」という「蔑み」を含めた言葉で オブラートに包み、自分たちの都合の良い政策を実現させようとする。 こんなことをする「エリート」というのも充分蔑むべき対象ではないか? そんな気もする。 このように想像力の欠いた政策を発想すること自体が心の貧しさなんだろうね。 あともう一つこの出来事で感じたこと。それは、 この国が「すき間」というものを本当に大事にしないんだなぁということだ。
●石田衣良の白黒つけます!!:フリーター、ニートになるのは本人のせい?社会のせい? フリーター問題を語ろうとする時に、一番困るのが便器の糞のようにこびりついて取れない「フリーターとういものに対するイメージ」、すなわちリクルートが「フロムA」なんかを創刊した時のイメージです。 今でも「モバイト」というCMでは、当時のイメージまんまに「フリーターとして稼いだお金で海外旅行」なんて事をやっているわけですが、そのフリーターのイメージでそのまんま格差問題が語られてしまう。つまり、当時のフリーターのイメージと、現在のフリーターの現状が、まったく異なったモノになってしまっているにもかかわらず、言葉だけは同じなので混同されたままなのです。 そして結局、お金を持っている正社員がなぜか、お金が無くて苦しんでいる労働者たるフリーターに対して、露骨な僻み感情を見せるという、差別の図式になってしまう。この記事はその
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