[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 北陸朝日放送制作「指揮者岩城宏之最後のタクト」を見た。 岩城宏之氏のことは著作もいくつか読んでいたし、本映像に収録されたエピソードの類のことはたいてい知ってはいた。 度重なるガン手術などによって体調は良くないのに、なぜベートーヴェンの交響曲全曲演奏を一晩でやろうと考えたのか。その話を耳にした当時は、馬鹿げているとしか思えなかった。指揮者の勝手な話題作りのために演奏者たちが巻き沿いにされて迷惑だろうと考えていた。聴衆だって、長い休憩を入れるとはいえ、午後3時半から深夜1時までの約10時間に及ぶ演奏会につきあうだけでも、もの凄いエネルギーを要求されるから。 でも晩年の2年ほどの、舞台裏を含めた映像を見て、これほど心が揺さぶられるとは思わなかった。 日本人は、モーツァルトやベートーヴェ
⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム かつて、大晦日といえば岩城宏之、岩城宏之といえば大晦日だった。その岩城さんがこの年末に突如現れた。今月21日に発表された2007年文化庁芸術祭賞のテレビ部門優秀賞に、北陸朝日放送が制作した番組「指揮者 岩城宏之 最後のタクト」(55分番組)が選ばれた。去年(06年6月)、岩城さんが逝去してから1年6カ月、その存在感をいまも漂わせている。 マエストロ岩城を撮り続けたドキュメンタリスト 2年前の05年12月31日、私は当時、経済産業省「コンテンツ配信の実証事業」のコーディネータ-として、東京芸術劇場大ホールで岩城さんがベートーベンのシンフォニー1番から9番を指揮するのを見守っていた。演奏を放送と同時にインターネットで配信する事業に携わっていた。休憩をはさんで560分にも及ぶクラシック
最初の入居者として70年代前半に多摩ニュータウンに引っ越した叔母の家に遊びに行くと、我が家にはなかったステレオ装置がおいてあり、数十枚のレコードがあってそのほとんどがクラシックだった。これを繰り返し聴くのがなんとも楽しみだった。当時、多摩ニュータウンの抽選もけっこうな倍率だったのではないかと思うと、ウィーン・フィルの件といい、叔母はくじ運に恵まれた人だったらしい。 当時クラシックで商売しているレコード会社は今ほど多様ではなく、グラモフォン、デッカ、EMIでほとんどすべてだったが、なかでもカラヤンとベーム、クーベリック、アバドなどを指揮者陣に要するグラモフォンの市場占有率は高かった。叔母の家にもベームのベートーヴェンやモーツァルトが何枚かあり、僕にとってベームは貴重なクラシック音源の、黒光りする円盤の向こうから妙なる楽音を響かせる人間離れした種族の筆頭だった。カラヤンの影響力が巨大だった時代
⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム 先日このブログで、指揮者の故・岩城宏之さんのことを書いた。その続きである。 東京生まれの岩城さんは読売ジャイアンツのファンだった。親友だった故・武満徹さんが阪神ファンで、岩城さんがある新聞のコラムで「テレビの画面と一緒に六甲おろしを大声で歌っていた」「あのくだらない応援歌を」と懐かしみを込めて書いていた。また、岩城さんはクラシックを野球でたとえ、04年と05年の大晦日、ベートーベンの1番から9番の交響曲を一人で指揮したときも、作曲家の三枝成彰さんとのステージトークで「ベートーベンのシンフォニーは9打数9安打、うち5番、7番、9番は場外ホームランだね」と述べていた。面白いたとえである。 その岩城さんがことし6月13日に亡くなる前、ある野球プレイヤーに人生のエールを手紙にしたため送っ
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