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論理と理性に関するmadashanのブックマーク (2)

  • マイノリティについて - hituziのブログじゃがー

    「ひとの数だけ可能性がある。」では、前半と後半で ちがうはなしをかいた。 前半では、人間のありかたを認識するさいに、ふたとおりのアプローチがあることを論じた。 ひとつには、「ふつう」な人間なるものを設定し、その「ふつう」という概念から はずれた「当たり前でないこと」を、どのように うけとめるかという問題設定 もうひとつは、「これも それも あたりまえである」というアプローチ この、「これも それも あたりまえである」というのは なにも、ただたんに多様性を指摘するだけで満足するつもりで かいているのではない。「人間の価値観や行動様式、すがた かたちは、ものすごく多種多様」であることを きちんと把握するなら、社会があまりに排他的に設計されていることに気づかされる。そして、そこで「「配慮の平等」という視点」にたって、社会を変革する必要性を認識し、具体的に社会をかえていこうと主張しているのだ。 は

    マイノリティについて - hituziのブログじゃがー
    madashan
    madashan 2008/07/25
    数量ではなく(当該社会における)質の差異であり、非対称性であり、権力関係であり、事実としての「少数性」が問題ですって話。「ふつう」が数量の問題と思ってる人はマジョリティーであることは確か
  • 命名、妖怪「どっちもどっち」 - 猿゛虎゛日記

    パレスチナ かつてこちらの記事 http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20041219/p1で引用した、土井敏邦氏の言葉をもう一度引用します。 もちろんパレスチナ人の自爆テロは許されるべきではなく、糾弾されるべきである。ただ、自爆テロをはじめとするパレスチナ人側の暴力とイスラエル側の「報復」の暴力を並列し、「暴力が暴力を呼ぶ悪循環」「どっちもどっち」といった描き方で終わってしまいがちな現在の報道や識者の評論は、問題の質を見誤らせると私は考えている。問題の根源はイスラエルによる”占領”にある。”占領”という状況がパレスチナ人を自爆テロにまで追い込んでいるといえよう。[(『パレスチナ ジェニンの人々は語る――難民キャンプ イスラエル軍侵攻の爪痕――』69-70頁) イスラエルとパレスチナ、機動隊と活動家、警察と西成の労働者、の対立についてのニュースなどがあると、かなら

    命名、妖怪「どっちもどっち」 - 猿゛虎゛日記
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