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人類史に関するmagi107のブックマーク (3)

  • 全国4位の巨大古墳、人口激減期に築造 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    全国4位の規模を誇る岡山市の造山(つくりやま)古墳(5世紀前半、全長約350メートル)が人口の激減期に築かれていたことが、松木(まつぎ)武彦・岡山大教授(考古学)の研究で分かった。 地域の人口が増加したことで大規模な古墳築造ができたとする定説を覆す成果として注目される。 岡山県の瀬戸内海沿岸で出土した弥生時代末から古墳時代の住居跡1011戸を約70〜100年ごとに細分して、変遷を分析した。その結果、347戸と最も多かった弥生末〜古墳時代初頭(2世紀後半〜3世紀前半)から、古墳時代前期前半(3世紀後半)には174戸に激減。同前期後半(4世紀)には47戸と最少になり、造山古墳が築造された同中期前半(5世紀前半)も58戸と低調だった。 3世紀は、ヤマト王権が纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)を拠点として、奈良盆地南東部に大型の前方後円墳を築いた時期。だが4世紀前半に纒向遺跡は急速に衰退、5世紀

  • 人類の政治体制の長期的な変遷には循環的なパターンがある [東京大学[広報・情報公開]記者発表一覧]

    平成22年10月14日 報道関係各位 東京大学大学院総合文化研究科 「人類の政治体制の長期的な変遷には循環的なパターンがある」 発表者: 東京大学大学院総合文化研究科進化認知科学研究センター 研究員 Thomas Currie (トーマス カリー) 教 授 長谷川 寿一 (ハセガワ トシカズ) 解説: 最終氷河期の終了まで、人類は血縁関係で結ばれた小規模社会で生活してきた。一方、現代人である我々は、国家と呼ばれる複雑な大規模社会の中で暮らしている。この間の政治体制の変化(具体的には、小規模血縁集団、部族社会、首長社会、国家の間の変遷)が、循環的なパターンあるいはプロセスであったのか、あるいは飛躍的、もしくは一方向的なパターンだったのかについては、長らく議論が続いてきた。この問いに対して、Thomas Currie(大学院総合文化研究科進化認知科学センター・研究員およびロンドン大学・研究員)

  • 祖先はアフリカ南端で生き延びた

    現在,世界の人口は70億に近づきつつあり,ホモ・サピエンスがかつては絶滅危惧種だったとは想像しにくい。だが,現代人のDNAの研究から,その昔,私たちの祖先の人口が劇的に減った時期があることがわかっている。 人類がいつ誕生し,いつ絶滅しかけたのか,正確にはわかっていない。だが化石記録から,人類の祖先は19万5000年前より少し前にはアフリカ中に広がっていたと推測できる。そのころは気候が穏やかで物が豊富にあり,生活は快適だったようだ。だが,約19万5000年前に状況は悪化した。地球は「海洋酸素同位体ステージ6」(MIS6)と呼ばれる長い氷期に入り,これが約12万3000年前まで続いた。この時期の気候は寒冷で乾燥しており,アフリカ大陸のほとんどは,住むのに適さない土地になっただろう。 地球を襲ったこの氷期の間に,人口は危機的と言えるほど急激に減少し,子どもを作ることができる年齢の人は,1万人以

    祖先はアフリカ南端で生き延びた
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