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雑感を書きます。 ▼ 我妻栄の代表的論文の一つ。同論文を所収する同名の単行本は、昭和28年(1953年)に刊行された。もっとも、初出は、昭和4年から同6年(1929年から1931年)にわたって法学志林に掲載された同名の連載である。 我妻は、戦後民法学の体系を打ち立てた、未だにその越えられるところを見ない巨大な壁である。その我妻が、学問的使命として自らに課したものは、「資本主義の発達に伴う私法の変遷」というテーマであった。しかし、現在の我々には周知のように、彼はそれを遂げることなくこの世を去った。その彼の未遂なる使命の途上が、この「近代における債権の優越的地位」である。 同論文は、300頁以上に及ぶ長編である。これを過ぎるほど乱暴に要約すると、以下のようになる。資本主義化に伴い、それ以前の身分的秩序や社会統制は崩壊し、その間隙を契約に基づく債権関係が埋めて行く。その正当化として用いられたのが
転んでもタダでは起きるな 私の専門は刑事法学である。もともと、男女が平等に働ける職場への希望から、国家公務員I種の受験を目指して東京大学文科I類に入学した。当時はまだ女性のキャリア官僚が少なく、官庁はこれからの女性の採用・登用に意気込みを見せていた。しかし専門科目を学習するうち、刑法の理論研究への関心が強まった。ところが、刑事法大講座では女性の助手・院生が続けて研究をやめ、法律実務家に転身する事態が発生していた(私の後輩の女性もやめることとなる)。指導教官となる助教授は私を保護する立場にあったが、教授陣に私は全く歓迎されなかった。期待がかけられている国家公務員を目指すか、邪魔者扱いされる研究室に残るか。4年生の初夏まで迷った。だが、「自分を信じろ」という天の啓示があり、他の専門科目の教授らからの励ましもあって、研究者を目指すことにした。当時、毎年数名の成績優秀者が学部卒業と同時に助手に採用
追記:ちゃんと話してきました。つづきはこちら。 http://d.hatena.ne.jp/PineTree/20090130/p1 追記2:これだけでは分からないことについて、以下にも書いてみました。 http://d.hatena.ne.jp/PineTree/20090226/p1 http://d.hatena.ne.jp/pollyanna/20081224/p1 以前この記事を読んで、なるほどと思った。 確かに日本では「勉強ができる」ことへの偏見のようなものはあるし、それが科学の発展を妨げているところもあるかもしれないな、と実感があったからだ。 今日この記事を思い出したのは、頭がいいことへの偏見を生んでいるかもしれない、頭のいい人の無邪気さ(英語で言えばナイーブさ)に接してしまったからだ。 私は大学で研究をしている。チームで研究をしているうちの部屋において、自らの研究とともに、
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