タグ

オタクと考察に関するmaita_333のブックマーク (7)

  • 一部のヲタクにとってのリアリティの基準

    一部のヲタクにとってのリアリティの基準 2007年の記事です。 この記事は閉鎖前の人気記事の1つでしたが(数カ月で数十万アクセス)、 理由はおっぱいに関する記述がうけたからです。 以下、当時の文章そのまま。 ヲタク媒体の良し悪しを見分けるためにはリアリティも見分ける必要も有りますが、一部のヲタクのリアリティの基準は一般人と違うので、その違いを踏まえなければなりません。 たとえ一般的にはリアリティを感じない描写でも、一部のヲタクが十分にリアリティを感じれる場合が有り、一般的な感覚でリアリティを判断すると一部のヲタクがリアリティに浸る媒体を見逃すことになります。 一部のヲタクとは、要は現実感覚の乏しいヲタクです。 注意: その傾向を持つヲタクでも程度に差が有ります。 この記事で書くのは典型例であり、その傾向を持つヲタクでも多くは軽度であり、逆に典型例以上のヲタクも居るわけです。 ヲタクも多くは

  • オタク中年化問題(汎適所属)

    編集家・竹熊健太郎さんのウェブサイトで、「フジでオマイラキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」という記事を拝見した。この記事において竹熊さんは、「才能無き者が無いままにクリエイターとして突き進んでいくこと」に関して色々なことを書いている。自分にそれほどの才能や情熱が無いにも関わらず、オタク趣味ばかりにエネルギーを差し向け続けたまま、いい歳に来てしまった人がどうなるのかについても、フジテレビ「プレミア5」の放送内容と合わせて解説している。とても面白い内容なので、まだ読んでないオタクさんは是非一度読んでみて欲しい。 それはそうとして、この記事を読んで私が思い返したのは、「そういえば最近、オタク仲間と話をしている時に、オタク中年化問題が話題になることが多いなぁ」ということである。ある程度オタク界隈に詳しい人と話をすると、なにかしらの形でオタク中年化問題が話題に出ることがある。このテキストでは、オタ

  • それでもボクはオタクじゃない

    ある日、自他共に認めるオタクな知り合いと雑談をしていて、私が「まー俺はオタクというには程遠い感じだけど」てなコトを言ったら、知り合いに「何言ってるの、どう見てもオタクじゃん」みたいなコトを言われて。そうかなぁ。自分ではただのミーハーだと思ってるんだけども・・・。 で、後日またその知り合いと雑談(確かガンダム系の話)していたら、今度は「オタクと言うにはまだまだだね」みたいなコトを言われたりして。結局、オタ認定したいのかしたくないのかどっちなんだ!?・・・ふと知り合いの内心を想像するに、「オタク方面の話題に興味がある人間が一般人面するのが気に入らない」という気持ちと、「オタク方面の知識レベルでは他人に勝っていないと気が済まない」という気持ちが同居してんのかなぁ、とか思った。 私が自分をオタクだと思わない理由ってのは、知識や興味に対する掘り下げが浅く適当に話題をい散らかしているだけ、という自覚

    maita_333
    maita_333 2007/04/09
    めっちゃ同意
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    オーベルジーヌ実レポ べ物の鼻塩塩(未だに通じるのかな) オーベルジーヌというカレーをご存知だろうか 都内にあるデリバリー専門のカレー屋で、 ロケ弁などで大人気の格欧風カレーが楽しめるらしい いいな〜 いいな〜オブザイヤー 都内の奴らはこんな良いモンってんのか 許せねえよ………

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
  • オタクの定義化 - ドクバリブログ

    今年がどんな年だったか考えようとして、ここ一週間ぐらい色々考えて、書いては消し、書いては消ししてきたのですが、やっぱりこれは書いておかねばならんだろうと。 それは2006年は「オタク=萌えコレクター」という定義が世間的にも一般化した定義として確立した年だなぁということ。 「オタクとは何か?」というのは90年代からずーっと色々な人が定義してきましたが、一般化するには至りませんでした。 一般的にはまだ「オタク=宮崎勤」というイメージの方が強かったんじゃないかな? だから旧来のオタクたちはその悪いイメージを払拭するためにオタクの定義化に躍起になっていたのですが。 でも『電車男』の大ヒット以降、オタクの中の一部である「萌えコレクター」が「オタクのステロタイプ」としてマスコミに取り上げられ、その取り上げられたスタイルが「オタク」として一般的な定義になっちゃったんですよね。 つまり「オタク=萌えコレク

    オタクの定義化 - ドクバリブログ
  • 自分を笑えるオタクになれるか。 - たまごまごごはん

    いわれなき「ロリコンという偏見」の時代が甦る(川俣晶の縁側) 以前書いたナオコサンのレビューを見てくださった人の記事なんですが、これが非常に面白くて、視点の面でも是非一度読んでいただきたいので紹介。 なぜなら、当時のオタクにとって、自分たちがおかしいことは自覚されており、それは常に笑いのネタとして使われたからです。オタク文化が変な場所に迷い込まない健全性を持ち得たのは、その「自分自身を客観視して笑える精神の健全性」ゆえのことかもしれません。 しかし、この健全性は現在では希薄化していると感じます。世界に通用するオタク文化という誇張されたフィクションを信じ込み、自分たちはおかしくないと思い込んでしまった人達は珍しくないと感じます。 自分はずっと「オタクは楽しみ方を知っている人たちだ」と思っているのですが、自分を客観的に笑える、というのは言われてみたらそうですネ。といっても、このへんオタクじゃな

    自分を笑えるオタクになれるか。 - たまごまごごはん
  • 隠れるオタクたち - 愚仮面

    (岡田斗司夫がしゃべり場に出たときに、専門学校の生徒が「オタクの俺を認めろ!」と言ったという話で) てっきり僕は「アニメファンで、みんなが偏見で見ているから、そんな目で見るのはやめてくれ!」みたいな話なのかなぁと思ってたら、彼の話をよく聞いてみると、そうじゃなくて。 その人は別に、周りに自分がアニメ見ているということを言ってないんですね。 「俺は隠している」「隠してるのは、きっと言えば、みんなに変な目で見られたり、いじられたりするに決まってるから言えないんだ」 で、彼の結論というのは「こういう世の中が悪い!」「もっとアニメを見るというようなことが、当たり前でもいいじゃないか!」「アニメを見るというようなことで、人を差別しないでほしい!」みたいなことを言い出して。 で、まわりのみんなが「えっ」て思ったのは、「だっておまえアニメみるってみんなに言わなかったら、俺たち差別しようがないよ」「今日初

    隠れるオタクたち - 愚仮面
  • 1