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ネタと考え方に関するmak_inのブックマーク (3)

  • 小学生にはむずかしい文章 - 内田樹の研究室

    ある教科書会社から小学校の教科書のために何か書いて欲しいと頼まれた。 めんどくさいから厭だと最初は断った。 「中学生にもわかるように書く」ということは『先生はえらい』でやってみたので、できそうな気もするが、「小学生にもわかるように書く」というのはちょっと私には無理そうに思えたからである。 私は一度書いた原稿に「ここがわかりにくいので書き換えてくれ」とか「この字は読みなれていないので、ひらがなにしてくれ」とか言われるのが嫌いである。 だから、「そのままの原稿では出せません」と言われると、「あ、そうですか」とそのままオサラバすることにしている。 私の文章を読んで「意味がわかりません」という人間と「私の文章」を介して話し合いをすることは、論理的に考えて、純粋な消耗だからである。 今回は、「私の書くものは小学生向きじゃないですよ」といったのに、でもぜひにと頼まれたので、なるべくむずかしい漢字や子ど

  • エロ本主義を超えて

    非正規労働者の雇用問題の影響で最近下火になったものの、一時期「日の若者の意欲が減退している」という指摘が相次いでいた。 →消費社会における若者の労働意欲(http://benesse.jp/berd/center/open/berd/backnumber/2008_13/fea_uchida_01.html) 資主義社会ならぬエロ主義社会のもとでは、適切にエロが配分されることが社会が進歩する上で欠かせない。「努力し、成功を収めた者がモテて適切なエロを受け取ることができる」、そんな流れがあるからこそエロ主義社会は発展する。特に金銭的な価値感が否定されがちな日では、資主義ではなくエロ主義こそが戦後の経済成長を支えてきたと言っても過言ではない。だからこそヨーロッパのように「努力がエロにつながりがたいストイックな社会」を凌駕できたのだ。 しかし今、エロ主義社会が崩壊しつつある。動画

    エロ本主義を超えて
  • 不運と理不尽に襲われたとき、うまく切り抜ける人と、逃げ切れずに酷い目に会う人の違い - 分裂勘違い君劇場

    不運と理不尽が襲ってきたときに、上手く対処できる人の多くは、不運と理不尽をらい慣れている。 今までの人生で、あまりにも酷い不運と理不尽に徹底的に痛めつけられ続けてきたために、慣れっこになってしまっているのだ。 ベルセルクのガッツが理不尽なビンタをらって、目に涙をためて「親父にもぶたれたことがないのに!」などと叫んで抗議するところが想像できるだろうか? そういうタイプの人は、ドル箱商品や既得権益を持たず、競争にさらされた実力主義の会社の上層部に多い。 そういう実力主義の会社では、地位が上がれば上がるほど襲いかかる不運と理不尽の質も量も大きくなっていく。 客と仕様の凍結に合意し、開発がかなり進んでから、客が前言をひっくり返して、大きな仕様変更を無理矢理迫ってくる。それではスケジュールが大幅に遅れるというと、スケジュールは絶対に変更するわけにはいかないという。徹夜続きで意識がもうろうとする中

    不運と理不尽に襲われたとき、うまく切り抜ける人と、逃げ切れずに酷い目に会う人の違い - 分裂勘違い君劇場
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