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歴史に関するmako-28のブックマーク (2)

  • 米軍の原水爆実験を命がけで撮影したカメラマンの残した写真(1945〜1962年) : カラパイア

    太平洋戦争が終結を迎えた後も、米軍はさらなる核爆弾の試作実験を行っていたことは周知の事実。1945〜1962年にかけて、100以上もの核爆弾が実験として投下されていったんだそうだ。 これらの写真は、当時の核実験の様子を記録に残すために、現地に赴き、命がけで撮影を続けていたピーター・クラン氏が残していったもの。ただし当時は機密保持に基づき、これらの写真が人々の目に触れることはなかったのだそうだ。 【Capturing the Atom Bomb on Film 】 米国ネバタ州の砂漠地帯に落とされた原爆のファイアーボール この写真の0.0001秒後に、この付近にあった軍の車両や機材などは、跡形もなく吹き飛んだという。 ネバダ州の実験場で撮影にあたるジョン・ケリー軍曹(1958年) 太平洋で行われた水爆実験では多くの船が吹き飛ばされた(1946年) 爆発が始まった直後の原爆を特殊カメラで撮影し

    米軍の原水爆実験を命がけで撮影したカメラマンの残した写真(1945〜1962年) : カラパイア
  • 問:史上最も有名で、最も戦闘的だった統計学者は誰か? 答え:ナイチンゲール

    意志決定する人たちが数字に弱い。 基的に、四則計算しか/もできない。 かけ算割り算(それと按分ってやつ)に大小比較が、今でも最高の意志決定手段だったりする。 どれだけたくさんデータを集めても、平均値しか求めない(し知らない)。 かつて広大な領土を持つロシアでは、統計は非常に重要視された。 ほとんどのケースで「この目で見る」ことがかなわぬ状況で、統計の活用は(マイクロソフトのビル・ゲイツがそうだったように/例えば電気料金の詳細データから、照明がついている=それぞれの事務室が使用されているのべ時間を割り出し、各セクションの仕事の進捗具合や、人材の過不足を知った)、しゃぶりつくすまで徹底的に活用された。 でなければ、統治は不可能だった。 そのロシアとサルデーニャが組み、フランス、オスマン帝国およびイギリスを中心とした同盟軍と戦った。 戦闘地域はドナウ川周辺、クリミア半島、さらにはカムチャツカ半

    問:史上最も有名で、最も戦闘的だった統計学者は誰か? 答え:ナイチンゲール
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