IDEは「スケッチ」と呼ばれるプログラムをパソコンで入力してジャパニーノに伝えるソフトウェア。MacでもWindowsでも使えます。 何を、どう、動かすか?あなたのアイデアで光、音、モーターなど、様々なものをコントロールしてみましょう。 CPUやUSB変換ポートなどを搭載したマイコンボード。 8個のアナログ入力ピンと14個のデジタル入出力ピンがあります。パソコンのUSBポートに直接差せます。付属の電池ボックスをつなげば、パソコンと切り離して使うこともできます。
ビルゲイツ、自分の限界を知りプログラムを書かなくなったわけ 注:今日のブログは、フォント指定を外してみました。文字が大きすぎると思われる方は「表示(V)文字サイズ(V)」もしくは他のブラウザのフォントサイズ指定で好みの大きさに変更してご笑覧頂ければ幸いです。フォントサイズ変更後に改行位置や行間スペースがおかしい時には、当該ページの「更新」表示(V)最新の情報に更新(R)もしくはF5キーを押す(IE以外のブラウザの方は同様の当該ページ再ロード機能を選ぶ)と正しく表示されることがあります。 1970年代の後半から1980年代の初頭においては、㈱アスキーがマイクロソフトの代理店として活動していた時代がありました。その頃は西和彦さんが次々と日本の会社へのアプローチを実現し、多くの日本人プログラマが日本だけではなく、アメリカに長期滞在して日本向けのBASIC言語その他の移植作業をしていました。198
code monk - Tony Hoare, man of Science http://drj11.wordpress.com/2009/07/04/tony-hoare-man-of-science/ 先日開かれたEuroPythonカンファレンスにおいてトニー・ホーア(Tony Hoare)(クイックソートの発明者として有名なコンピュータ科学者)がおこなった講演を紹介している。 Sir Tony Hoare (Microsoft Research) 講演は「The Science of Computing and the Engineering of Software」というもので(資料の.ppt)、コンピュータ科学とソフトウェア工学の関係、アプローチの違いを主題にしたもの。 講演の要点は、ほぼ以下の図にまとめられる(資料の12ページ目)。 これは面白く、わかりやすい対比だと思う。
第参回のテーマ「Code is Love」に込められた思いとは? 日本のコンピュータ業界は、どこから来て、どこへ行くのか? 清水亮が古川享(慶應義塾大学教授)、遠藤諭(アスキー総合研究所所長)を迎え、熱く語る! 清水 : ありがとうございます。今日は、天下一カウボーイ大会では恒例になりつつある鼎談にお付き合いいただきます。 古川 : ちょっと恥ずかしくて聞けなかったんだけど、「天下一」って、あのラーメン屋の「天下一」からきているわけではない? 遠藤 : アスキーのあった青山の骨董通りに「天下一」っていうラーメン屋があったんですよ。 古川 : なつかしい。僕らがそれこそソフトウェアビジネスを立ち上げたアスキーラボラトリーズから一番近いところが「天下一」で、プログラマー時代にはそこで三食食べていたんですよ。 清水 : そうなんですか!縁起のいい名前でよかった。今回のテーマは「Code is
七陽商事さんの良い仕事により、あっという間に日本発売となった SlimBlade Trackball、もちろん我が家にも届きましたよ! というわけで、初見レビュー。待ちに待った、なのでテンション高いですし、ちょっとオーバーになっちゃってるかもなのですが、そこはご容赦です。 本体形状 薄い!事前に薄いということは聞いていたのに、それでも目の当たりにしてみると驚いてしまう、そんな薄さです。ネットブックの筐体の厚さより薄くって、なんだかこれは対比用に MacBook Air が欲しくなってしまいます。 TrackMan Marble と比べたってこうです! こと厚みがネックになりやすい大玉トラックボールなので薄さが使いやすさに直結する感じ。Expert Mouse タイプとしては、この筐体がベストじゃないか、と思わせるそんな使いやすさにちょっと感激。Expert Mouse 5 を超えたと思いま
90年代にIBM、Microsoft、Apple各社が巨額の開発費を投じて作っていた「戦略的OS」がすべて失敗してしまったことを皆さんはご存知だろうか? IBMが作っていたのはOS/2。元々はMicrosoftとの共同開発だったが、途中で仲違いをしてしまい、最後はIBMだけが細々とサポートしていたことすら覚えていない人が多いとは思うが、Windows95の成功であっというまに市場から消えてしまったのがOS/2。具体的な数値は公開されていないので分からないが、両社が数百人体制で数年間開発していたので、少なく見積もっても日本円で数百億円は投じられたことは間違いない。 Cairoの方は私自身が初期のころにいたこともあるし、最終的には「Chicago(Windows95のプロジェクト名) vs. Cairo」の戦いの最前線にいた私としては知りすぎている点も多いのだが、一つだけ確かなのは、プロジェク
⇒あなたが考える「コンピュータ界に最も貢献した人」は? - スラッシュドット・ジャパン そこであなたが思う"コンピュータ界に最も貢献した人"やその逸話を教えてください。 じゃ。 1 ゲイリー・キルドール ⇒ゲイリー・キルドール - Wikipedia 1972年、ワシントン州のワシントン大学 (UW)より計算機科学の博士号を受けた。その後モントレーにあるアメリカで唯一の海軍大学院大学の教授を務めその間にインテル4004、8008用のPL/IをインプリメントしPL/Mと名付けた。その開発環境の研究も行い、それがCP/Mとなった。 彼がマイコンにOSを乗っけた。この衝撃を察した西和彦の着想で、でビルゲーツは大もうけをした。 キルドールには、すごい嫁がいた、そして不幸な最後を遂げた。 2 チャック・ペドル ⇒Chuck Peddle - Wikipedia, the free encyclope
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