そしてよしなが大奥のフィクションとノンフィクション=家重・家治編=年表の作成に行き詰ってしまったと書きましたが、どうやら家斉編から復活できそうなので、この項には史実と比較した年表を挙げておきますが、まずは恒例のエピソードの仕訳をご覧ください。 よしなが大奥に生かされている設定徳川家斉(とくがわいえなり)=竹千代→豊千代モデルは徳川家第十一代代将軍徳川家斉 16人の側室がいて、男子26人、女子27人をもうけた。その絶倫さからオットセイ将軍と言われた50人を上回る子供のうち成人したのは半分だったが、幕閣はそれらの子供達の縁組先に頭を痛めた。正室の茂姫は薩摩島津家の姫で家斉が次期将軍に決まる前に婚約していたが、婚約期間中に家斉が将軍になったので、釣り合いをとるために近衛家の養女となった。将軍職を息子徳川家慶に譲った後も、死去するまで大御所として政治の実権を握り続けていた。父・治済の存命中は父の言