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お笑いに関するmaokunのブックマーク (2)

  • ナイツのドッキリを超えたコンビ愛 - テレビの土踏まず

    3 日にフジ系で放送された「お笑い芸人ドッキリ王座決定戦SP」は正直リアルタイムでは見てませんでした。 ところがネットの人たちが「ナイツのドッキリは超泣けた」と口々に漏らすので、ためしにネットの偉大な力を借りて動画を探して気楽に見てみたところ、これが当に泣けて笑えてたいへんなドッキリだったのです。ナイツの絆がガチすぎる。 ということで、その興奮が伝わるかわかりませんが、ためしに内容を書き起こしてみました。 「コンビ愛を確かめたい!」と意気込むナイツの土屋が、相方の塙にドッキリを仕掛ける、というところから話は始まります。「芸人を辞めて絵の道に進みたい」という理由で土屋がいきなり「コンビ解散」を持ちかける設定。 このドッキリを成功させたいと意気込む土屋は番前の楽屋などで 2 ヶ月にわたって絵を描き続けるという「伏線」を塙の前で張り続けたそうです。 ドッキリにかける思いを語る土屋。 僕に対す

    ナイツのドッキリを超えたコンビ愛 - テレビの土踏まず
  • 2009-03-10 - 死んだ目でダブルピース

    前回のエントリーでは、東京芸人の大阪での奮闘ぶりを紹介したけれど、今回はその逆で、かつてダウンタウンが、東京でどのように戦ってきたかという話。 1989年秋、ダウンタウンは大阪のレギュラー番組をすべて終了させ、東京に移住した。 当時、二人は26歳。すでにフジテレビで『夢で逢えたら』『笑っていいとも』などのレギュラー番組を持っていたが、当時のスタッフはダウンタウンの持ち味を生かしきれず、単独での人気は今ひとつ伸び悩んでいた。 自分たちの笑いをスタッフにすら理解されず、「松ちゃん、もっとハジけないとダメだよ」などという失礼な言葉を投げかけられたこともあった。 松人志はのちのインタビューで、こう語っている。 「今とは大阪のタレントの受け入れられ方も全然違いますからね。『あ、関西の人なんだ(標準語のイントネーションで)』ってひいた部分はありましたよ。」*1 今では信じられないことだが、この時期、

    2009-03-10 - 死んだ目でダブルピース
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