ノモンハン事件(ノモンハンじけん)は、1939年5月から同年9月にかけて、満洲国とモンゴル人民共和国の間の国境線を巡って発生した紛争。第一次(1939年5月 - 6月)と第二次(同年7月 - 9月)の二期に分かれる。 1930年代に、満洲国、後に日本(大日本帝国)と、満洲国と国境を接するモンゴルを衛星国にしていたソビエト連邦の間で断続的に発生した日ソ国境紛争(満蒙国境紛争)の一つが、両国の後ろ盾の大日本帝国陸軍とソビエト赤軍との間で最大規模の軍事衝突となった[20]。 諸外国では、「ハルハ河戦役」などと呼ぶことが多い。 清朝が1734年(雍正12年)に定めたハルハ東端部(外蒙古)とフルンボイル平原南部の新バルガ(内蒙古)との境界は、モンゴルの独立宣言(1913年)以後も、モンゴルと中華民国の間で踏襲されてきた。 ただし帝政ロシアの1/84,000地図(1906年)は、10 - 20 kmほ