用途:戦闘機 分類:戦闘機 設計者:土井武夫 製造者:川崎航空機 運用者: 大日本帝国(陸軍) 初飛行:1941年12月 生産数:3,148機 生産開始:1942年 運用状況:退役 三式戦闘機(さんしきせんとうき)「飛燕」(ひえん)は第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機である。開発・製造は川崎航空機が行い、1943年(昭和18年)に制式採用された。設計主務者は土井武夫、副主任は大和田信である[1]。 当時の日本で唯一の量産液冷戦闘機であり、ドイツの液冷航空エンジンDB 601を国産化したハ40を搭載した。防弾・武装のない試作機は最高速度590 km/hを発揮した。主翼より後部の機体下部にラジエーター・ダクトを搭載し、機体の空気抵抗低下と冷却効率の両立を図った[注釈 1]。 搭載エンジンのハ40が生産・整備ともに苦労が多く、常に故障に悩まされた戦闘機としても知られる。エンジンの生産遅延か