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増田に関するmasaphのブックマーク (7)

  • 先日、能楽堂で能をみてきた。

    結論からいうと、すげーよかったっす。 いままで30年くらい生きてきて、触れずに過ごしてきたことをちょろっと後悔した。 いや、後悔と言ってもぜんぜん遅くないというかむしろ早いほうだと思うんだけど。 なにしろ、客席の平均年齢が70歳くらい。(中には90歳くらいでは?という人も) 若い人は着物をお召しの人(習ってるっぽい)や外国人観光客が多かったね。 で、何がいいって、なんつーの。まず、フィジカル。 想像してた倍くらい動きがゆっくりで、想像してた倍くらい声がでかかった。 あれアスリートよ。オペラ歌手とかもすごいけど。また質が違う感じ。 あと鼓もすごい。音も信じられないくらい響くんだけど、すごいのが誰もタイミングを合わせようとしないの。 タイミングが合ってないのに誰もあわてない。 合ってないんだけど、合ってる。 何言ってるかわかんねーと思うけどそうとしかいいようがない。 ちょっと意味がわかんない。

    先日、能楽堂で能をみてきた。
  • 私が友達出来ないのは自分語りが出来ないからかもなー

    私が友達出来ないのは自分語りが出来ないからかもなーと思った ネットだと自分語りって嫌われてるみたいだけど リアルだと自分語りしてなんぼだよね ハウツーやネットでは聞き上手がいいよーって言われてるけど 実際には聞く側に立ってるとただの空気でスルーされるだけなんだよな 自分語りして話題の中心にならないとだめみたいだ 私はテレビ漫画みたいなフィクションや 最近のニュースとか一般的な事象についての話なら出来るけれど 自分の友達や家族がどうしてるとか学生時代どうだったとか、そういう個人的な話が出来ない 話せるような面白い事がないし、あったとしても他人に話す気になれない

    私が友達出来ないのは自分語りが出来ないからかもなー
  • 彼女が欲しいというより、彼女がいるというステータスが欲しい。

    そりゃ彼女は欲しい。 でもそれよりも彼女がいるという事実の方が欲しい。 彼女がいなくても生きていける、とは言うが 世間的にはいる方が人並みに扱ってくれる気がする。 周りを気にするな、と言うが周りがいて自分という存在がいるわけで、 他人の目からは逃れられない。 自分は世間という目が物凄く怖い。 世間に苦しめられて死んでいくんじゃないか、と思ったりもする。 このままだと彼女が出来ないから自殺‥いうのも馬鹿な話だが それも大いにあり得る。

    彼女が欲しいというより、彼女がいるというステータスが欲しい。
  • 3のルールで生活改善

    4年ほど前から自分で決めた「3のルール」を適用している。これによって、生活が改善されたように思う。 3というのは、昔シューティングゲームの自機が3機あったことから取っている。2機だと少ないけど、4機だと余分だ。3機というのがバランスが良い。 3のルールのバリエーションは色々ある。 1. 自分が学び取りたいことを最低3つ毎日やる。 例えば、英語の勉強。覚えたい単語を最低3つ新しく覚える。3つだったら気軽に勉強を始められる。そこがミソです。「勉強しよう、でもやる気でないな」というのを「たった3つなら、とりあえずやってみよう」というので、すぐに始められる。そして、一度始めたら、勉強の波にのって、もっとやることができる。 2. 自分が時間を浪費しているな、と感じることを3で止める。 例えば、ネット閲覧で、まとめ情報などを見ている時。特に興味を引かれることがなくても、だらだらと時間を過ごしがち。でも

    3のルールで生活改善
  • 人生の9割は親で決まる

    http://anond.hatelabo.jp/20131013211454 これを見て自分の両親の事を思って、そう思った。 俺がまだまだ元気な両親から与えられたものはとてつもなく大きい 家族の愛情諦めなければ、どこからでも逆転できるこの2つを身を持って示してくれたことは、自分の人生そのものだと思ってる 両親は当におしどり夫婦で、俺ら子供たちの前では一度だって喧嘩をしたこともないし それどころか映画テレビを見てる時には、お袋が親父の膝の上に乗ったりしてるのを見せられてた 親父は厳しい人ではあったけれど、お袋は優しくて、その頃は経済的には豊かではなかったけれど幸せだった 家族ってこんなものなんだって、それが自分のベースになっている そんな親父が50を超えた頃、俺が大学に入った頃、会社からリストラされた リストラされた親父がどうなるのかと思っていたら、昔からの夢だったから、と事業を始めた

    人生の9割は親で決まる
  • 男女の友情について(長文)

    僕は男女の友情について、存在しないとは思わないけれど、同性のそれとはやはり条件が違うものだと思っている。 だけど、彼女はそうではなかったらしい、「友達だから何もない」「長い付き合いだし何かあるならもう既になっている」 それは多分事実なんだろう。でも僕には我慢が出来なかったし、お互いが違う部分を傷つけ会うことになり、そういうところのい違いで、距離を置こうってなった話。 彼女との出会いは去年末。 地元の飲店が主催した合コン、いわば婚活パーティーのようなもので、僕は会社がらみの付き合いで嫌々、それはもう当に嫌々参加した。 正直そこでのパーティーについては内容も良く覚えてないし、他にどんな人がいたのかすら思い出せない。 そのときは彼女も大して良い印象も悪い印象ももたなかった。 黒いタイツをはいていて、なんだか色っぽいなぁくらいのことしか考えてなかったし。 声かけてきたくらいだから、多少は気に

    男女の友情について(長文)
    masaph
    masaph 2013/04/26
    ブコメが良質
  • リア充はなぜコミュ力が高いか

    題名は正確ではない。正確には、「非コミュはどうしてリア充よりコミュ力が低いことになるのか」とでもした方がよいだろう。内容はここを読んで考えたこと。 自分に自信のない人間は、基的に周囲の様子を常にうかがっている。場にそぐわない行動をして排除の対象になるのではないかと、多かれ少なかれ怯えている。いわば、誰よりも「空気を読んで」周囲に気を遣って行動しているのはこうした人間だ。しかし、結果的にKYと呼ばれて排除の対象になるのもやはりこの種の人間だ。余りにも悲しい現実だ。 空気なんか読まなくてもリア充になれるでは、どうしてそういうことが起こるのか。これがコミュ力の差なのであると元記事は指摘する。だが、それはむしろ逆ではないだろうか。以下の文章にヒントがある。 では、「リア充」たる基的要件はなんだろうか。その絶対的必要条件は「コミュ力」だろう。「リア充」に慣れるか否かの決定的要因となるのは、新しく

    リア充はなぜコミュ力が高いか
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