実家の火事の原因は?前回も書きましたが、正岡家は明治2年(1869年)、子規3歳(数え年、以下同じ)の時に失火で全焼します。原因は味噌をつくる麹をこたつで発酵させていたため、あるいは曾祖母久と父常尚が酒を飲み、七輪の火を消し忘れたためと言われています。後者が原因なら、ほんと困った人だなあ。酒飲みお父さん!曾祖母も酒豪だったらしいです。 お灸はいつまで?お灸をすえられても我慢できた子規の話をしましたね。当時は子供にお灸をすえる風習があり、妹律の話では1年に2回、2月と8月にすえていて、背中や腰など9カ所、半日仕事だったそうです。明治16年に子規が上京するまで続けられたんだとか。他家でもそんな年までしていたものなのでしょうか。ちょっとびっくり。 父の死明治5年、子規は6歳の時、父を亡くしました。死因は脳溢血という話もあったみたいですが、子規は「筆まか勢」の「父」で「脂肪変化」だった疑いがあると