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ポーランドに関するmaturiya_ittoのブックマーク (2)

  • 可笑しくも恐ろしい…(ことがかつてあった) | このごろのボグダン

    1991年制作のイェジィ・ヴイチク Jerzy Wójcik 監督の映画『Skarga (苦情)』を観た。この映画は、1970年12月バルト海沿岸地方で起きた暴動と、たまたまデモの群衆の中にいた中学生の息子を警察に射殺された両親の地獄を描いている。 両親は息子の亡骸を見るため、その後亡骸を引き取ってキリスト教式葬儀を執り行うため、長引く戦いを挑む。数週間後の夜ようやく息子の葬儀が警察の列席のもとこっそり執り行われるが、偽の司祭(扮装した警察官)は礼拝も葬儀の基も知らない。当局の狙いは、12月事件の犠牲者の葬儀が、次の反共産主義マニフェストにならないようにすることだった。 今夜は気分を持ち直して安眠できるように、ふたたびその11年後の時代、つまり戒厳令時代を、ちょっと陽気に思い出した。というのも戒厳令を含めてポーランド人民共和国体制というものは可笑しくも恐ろしかったのである。 当初の2、3

    可笑しくも恐ろしい…(ことがかつてあった) | このごろのボグダン
  • 戒厳令から29周年 | このごろのボグダン

    29年前の朝ラジオで、そのあとテレビで、ヤルゼルスキ将軍が発表するひどい公示を耳にした。夜中にポーランド全国に戒厳令が敷かれたのだ。 当時自分は中心街から離れたコズウゥヴェク団地の知人宅に身を寄せていた。路面電車もバスも運行しておらず、タクシーも見当たらなかったから、雪と極寒の中を1時間以上かけて中央広場まで歩いた。なによりもまず仲間に会って、状況を話し合い、ウォツカを飲むために。商売のことはまったく考えていなかった。 途中何台もの装甲車や、軍人やZOMO [ゾモ:市民警察機動予備隊] で満杯のトラック、通りの入口に置かれたコクシャキ [koksiaki:コークスを燃やす金属製のかご] で暖を取る武装パトロール隊を通り過ぎた。 きわめて鮮明に憶えているので、あれからもう30年近く経った!とは信じたくない。戒厳令下のありとあらゆる詳細を、他の人たちが勘違いしていたり忘れてしまったりしているあ

    戒厳令から29周年 | このごろのボグダン
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