1991年制作のイェジィ・ヴイチク Jerzy Wójcik 監督の映画『Skarga (苦情)』を観た。この映画は、1970年12月バルト海沿岸地方で起きた暴動と、たまたまデモの群衆の中にいた中学生の息子を警察に射殺された両親の地獄を描いている。 両親は息子の亡骸を見るため、その後亡骸を引き取ってキリスト教式葬儀を執り行うため、長引く戦いを挑む。数週間後の夜ようやく息子の葬儀が警察の列席のもとこっそり執り行われるが、偽の司祭(扮装した警察官)は礼拝も葬儀の基本も知らない。当局の狙いは、12月事件の犠牲者の葬儀が、次の反共産主義マニフェストにならないようにすることだった。 今夜は気分を持ち直して安眠できるように、ふたたびその11年後の時代、つまり戒厳令時代を、ちょっと陽気に思い出した。というのも戒厳令を含めてポーランド人民共和国体制というものは可笑しくも恐ろしかったのである。 当初の2、3