私は子供の頃から、そのとき読み進めているお話の影響を受けやすいやつだった。影響というのは、筋書きや登場人物像に対してではなく、文体のほうの話。「かっこいい」とか思うと、すぐそれを真似して文章を書きたくなる。文章の楽しみというのは、最終的にはそこにある。広い意味でのレトリックにあるという世界観は、そのようにしていつの間にか身につくことになる。 そういう人間がtwitterを読んでいると、ブログの文体がtwitter風になるというのは自然と起こってしまうことのようだ。オチのない走り書きがふえるというのが、twitter風の意味するところで、そもそもブログの文章には「いま考えていることを、ともかくアップしてみる!」といったところがあるから、明らかにその延長線上、その蒸留水のような話ではある。だから、まるで不思議でもなんでもない。でも、これ自体が典型的にそうなのだけれど、こうした構成(観、あるいは