福嶋本シンポジウムをきっかけとする議論をとりあえずまとめたものです。「誰でも編集可」ですので、適宜追加編集してください。
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「ゼロ年代批評最後の大型新人」と東浩紀に称される若手がデビューした。 福嶋亮大、1981年生まれ。専門は中国文学である。 生物の遺伝子が世代を超えて引き継がれていくように、日本の批評界も新しい世代を見出し、 発展していく。 この才能はどこから来て、そしてどのように在り、どこに行くのか? 『神話を考える』を「明晰」というキーワードで読み込んだ書店員・阪根が 「《思考》あるいは《明晰さ》という観点で、影響を受けた人(本)、好んでいる人(本)」は と、福嶋氏に投げかけ、始まるフェア。 ネット上では店員・阪根と福嶋氏の言葉のやりとりをお読み下さい。 その先、二人が投げ合った選書の全ては新宿店で御覧いただけます。 福嶋 亮大 様 『神話が考える』という1冊の本をもとにフェアをやるならば、ガチの企画、つまり、 日本を代表する批評家と福嶋亮大さんの《思考》を比較するフェアをしたいと思う
『神話が考える』は長門有希のトリセツである。 April 01, 2010 op-ed / commentary authorjunichi ikeda share tweet 福嶋亮大の新著『神話が考える』を読んだ。 ユリイカ連載時のものとは大きく異なり、福嶋自身言うようにマニュアル本的な装いになった。マニュアル本といっても実用書のようなお手軽なものという意味ではない。簡単にいうと、前から順番に読んでいけば一通り福嶋の言いたいことは素直に読めてしまう、という意味だ。 裏返すと、これは筆者である福嶋が最初に想定読者を頭に描きながら全体の内容構成の組み替えに試行錯誤した後書かれた本、ということ。つまり、デザインが行き届いた本。あえていえば建築物のような本。住む人がどんな人で、その人達の生活様式はこんな風で、だから、使い勝手はこうした方がいい、というようなことを予め想定し(あるいは読者と対話し
『神話が考える』は書店に並び始めているようです。よろしければ、ぜひ。 さて、来月頭にGEISAI大学で講演することになったのですが、その関係で、大阪中之島の国立国際美術館でやってる「絵画の庭:ゼロ年代日本の地平から」をふらっと見てきました。ゼロ年代の日本画家の一つの傾向を知る上ではとてもいい展覧会だったので、関西圏在住で、未見の方にはおすすめしておきます。 で、パンフにも書いてありましたが、とにかくゼロ年代の美術界は抽象画が描かれなくなり、具象画に振れた時代だったと。実際、展示されてる作品を見ても、少女を描くにせよ、あるいは自然(なぜか「森」が多い印象でしたけど)を描くにせよ、とりあえず輪郭をちゃんと持った存在を前提にして、それをちょっとアートっぽく崩していくというのが、ゼロ年代的傾向だったということはよくつかめます。 もちろん、それはそれでいい――というか、時代ごとに戦線は違って当
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